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びおら弾きの微妙にズレた日々(再)

音楽・アート(たまにアニメ)に関わる由無し事を地層のように積み上げてきたブログです。

   

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愛トリ2013 納屋橋会場編

終了間際の10月25日、台風が近づく中、もう後が無いからと納屋橋会場に駆け込んだ。
会場となる東陽倉庫テナントビル周辺は、天気のせいもあってか閑散とした様子。もしハズレだったらどうしようかと恐る恐る入り口の階段を登りったけれど、そんな心配はまったくもって不要だった。

扉を開けてみれば、中には音楽と映像を中心とした見事なインスタレーションの迷宮が広がっていた。



普通、展覧会会場というのは順路が定めてあって、見る人は矢印に沿って進めばすべての展示が見られるようになっている。名古屋市美術館会場がまさにその通りで、ルートはいささか破天荒ながらも、ガイドにしたがって進めば迷うことはなかった。
ところが、納屋橋会場のつくりは少し違っていて、おおまかなルートはあるものの、基本的な構造として、中央の大部屋からタコの足みたいにいくつもの方面へルートが伸びている。鑑賞者はひとつの足に入ってゆき、行き止まりまで進んだら、また中央に戻って違う足を探索する。何本もある足の一つだけが次の階へ進むルートになっている。
まるで知らない秘密基地を探検しているよう。また、一度見た作品を後で見直すときにいちいち順路を逆走しなくてよいので、心憎い演出だと思った。以下、印象的だった展示を挙げてゆく。

まず、最初に打ちのめされたのが、アンジェリカ・メシティの「シチズンズ・バンド」というインスタレーション。
四方の壁に設置されたスクリーンに、4人の移民が順に映しだされる。室内プールで水を打つカメルーン人のパーカッショニスト、地下鉄でキーボードを肩に乗せてエレジーを歌うアルジェリア系のストリートミュージシャン、外国の街角で馬頭琴を奏でホーミーで歌うモンゴル人、そして車内で口笛を吹く、スーダン出身のタクシードライバー。
彼らは都市の雑踏の中、孤独でありながら、音楽とともにあるときは恍惚とした表情を浮かべている。彼らの音楽は、その音色や心根に耳を傾ける人間をも恍惚とさせる。けれども、都会にあっては、その宝のようなひとときは誰にも知られず消えてゆく。世界の各所できっと、毎日のように同じ現象が数知れず起きている。奏者以外には、ほとんど誰にも知られることなく生まれては消えてゆく音楽。そのことを思うと、敬虔な気持ちが湧き上がる。

テルアビブ在住のニラ・ペレグの《安息日 2008》。これは超正統派のユダヤ教コミュニティが、安息日の始まりとともに地区の道路を封鎖してしまう様子をビデオに収めたもの。ひとつのコミュニティが自分たちの世界を囲い込む時、それは他の世界を閉め出すことにほからならいという事実をドキュメンタリー風に描き出す。封鎖する様子よりもむしろ、超正統派ユダヤ人たちの、すぐにそれとわかる身なりが印象的だった。彼らはライフスタイルそのものが排他的なのだ。それが良いとか悪いとかは別にして。

もうひとつ、音と映像の見事なインスタレーションがあって、ミハイル・カリキス&ウリエル・オルローの《地底からの音》。これは廃坑になった炭鉱跡地に当時の労働者たちが集まり、人の声で当時炭鉱に響いていたさまざまな音を再現する試み。一種のボイスパーカッションですな。彼らの声が炭鉱跡地に響く時、かつて生きて動いていた炭鉱の幻影が荒野に立ち上る気がして鳥肌が立った。どうしたわけか、リアルな機械音を再現するよりも人の声で再現された機械音の方が真に迫る何かがあるのだ。

さて、次は雰囲気ががらりと変わり、キッチュな魅力を備えた不思議世界が広がる片山真理の作品《Eyes》。これはブツをご覧いただくのが一番。

少女趣味が極められた部屋と瓶詰めたち。
瓶の中身は豆やパスタなどの乾燥食品とレースなどの装飾品。生物は入ってないです、念のため。
作者は幼いころに先天性の病のために両足を切断している。そのため、義足やハイヒールなど足に関するモノに対してフェテッシュな趣味が強く表れているけれど、感嘆するのは自らのことをひとつの芸術作品として演出する手腕。


会場となった東陽倉庫テナントビルは、かつてボウリング場だったことがある。その当時の記憶を呼び起こすインスタレーションが、リチャード・ウィルソンの《レーン61》。リアルにボウリングのレーンを再現してなおかつ、レーンがするすると動いて建物の外に飛び出すつくりになっている。これはまじめに鑑賞するものなのか、笑っていいものか少しばかり迷う。イギリス人独特のユーモアのセンスかもしれない。
 
「飛び出せボウリング場」(違)

そして青木野枝の《ふりそそぐもの/納屋橋》を眺め上げながら、右手奥の小部屋に入ると、そこにスーパーバーバラがいた。フルサイズ、つまり全編そろった状態で。バーバラについては面白すぎるので別記事で。

《ふりそそぐもの/納屋橋》
これは、鎖などでつながっていのではなく
「溶接」でつながっている鉄の円盤。圧倒的な存在感。


このあと、アヤシイ階段を上ってアヤシ気なドアを開け、次のフロアへ

このビルは随分使い込まれていて、夜は決して1人で入りたくないです。

最後にたどり着いたのが、名和晃平のインスタレーション《フォーム》。
さすが大トリというべきか。笑ってしまうくらいに壮大なインスタレーション!
広い会議室一部屋をすべて使用する。部屋の中に砂を敷き詰め、中心部はくぼませて浅い池を作る。池には泡が出るよう、おそらくシャボン液のようなものが入っており、そこに空気を送って延々と泡を生成させる。仕掛けとしてはそれだけだが、絶え間なく生成される泡は巨大な山を作り、端から少しずつ消えては内側から新しい泡が盛り上がってくる、の繰り返し。
泡の高さは、最大で会議室の天上近くまで。大人の背たけの2倍はある。それが少しずつ形を変えながら、ゆっくりとした動きを見せる。まるで生き物のようだった。生成と消滅を繰り返すさまも、自力で形を変えてゆくさまも。
壁も足元の砂も真っ黒で、部屋の照明は落とされ、泡の中心部にスポットライトがあたっているだけ。BGMも何もなく、聞こえる音といえば、泡が生まれる際に生じる、「ぷくぷく」という微かな音だけ。非常に幻想的な空間が生まれていた。

納屋橋会場のインスタレーションは質の良いものばかりで、見終わると文字通り異空間を旅してきた心持ちになる。愛トリのテーマ「揺れる大地―われわれはどこに立っているのか:場所、記憶、そして復活」を何度も思い出した。

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