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びおら弾きの微妙にズレた日々

宵闇の町(あいちトリエンナーレ2016)

岡崎まで、車で行ったのがよかったのか悪かったのか。
初めての街を迷いに迷ってぐーるぐる。古い街だ。決して走りやすい道ばかりではなく、むしろ細く曲がりくねった難易度の高い道が多い。なんとか駐車場を見つけて車を置き、さらに地図を頼りに会場にたどり着くまでがもう、一大イベントだった。
思うに、こうして知らない土地を訪ねること自体がすでにアートの一部で、大袈裟に言えば未知の世界との出会いなのかもしれない。アートというのは未知の世界を体験することにも通じるものだから。

今回まわった会場は3ヶ所。名鉄東岡崎駅の上に建つ岡ビル。駅と国道1号線の間にある岡崎シビコ。そして市民会館の近くにある古民家、石原邸。

まずは、車を東岡崎駅近くのパーキングに入れ、隣接する岡ビルへ。3階フロアがメイン会場。二藤 建人のインスタレーション作品は「境界」と身体性をテーマにしており、とても興味深かった。体を張って国境を体現した作品とか、温めた右手と冷やした左手を合わせて、じんわりと両者の温度が一致してゆく過程を味わう体験型の作品とか。理屈ではなく身体の感覚で「他者」を知ること。そこから始まる共感。

駅ビルを出て、乙川に出る。土日限定の渡し船があって30分おきに出ているのだが、乗り場についたときはちょうど船が出ていった直後だった。なので15分くらい歩いて岡崎シビコへ。年季の入ったファッションビルで、ここは改装中の6階フロアを全面利用して、大型のインスタレーション作品をいくつか展示してあり。岡崎会場の中心地でもある。雰囲気的には、前回の納屋橋会場を彷彿とさせた。
コラムプロジェクト「トランスディメンション-イメージの未来形」をはじめ、時間と空間の関係性を問う大型の作品が多く、メッセージ性の強い作品はあまり見受けられなかった。たしかに「あっさり」という印象はあるかもしれない。わかりやすい形で社会にコミットする作品はいやおうなく心に刺さってくるが、時間と空間の有り様は、自分からコミットしようとしないと作品の意味を捕らえるのは難しいものだから。

再び東岡崎駅へ。今度こそは乙川を渡る船に乗れそうだったので、川岸に降りたが、無念の定員オーバーで乗れない。仕方がないので景色を楽しみながら川沿いを歩く。手入れのされた広い川原、雨が続いたにもかかわらず、おだやかな乙川の流れ(鯉だらけで、公園の池のよう)、風情のある橋。市民の憩いの場なんだろうなあと想像する。



最後は車で夕暮れ時の街を走りながら石原邸へ。これもなかなか駐車場にたどりつけずに迷い、しかもちょうど地元の神社のお祭りだったようで、おそらくは町内の組ごとにハッピを着た子どもたちや大人たちがそこかしこに集まり、これから出発といった様子。タイミングの悪いときに来たものだ。

だが、かつて庄屋だった古民家を利用した石原邸は、暗がりの中にぼうっと浮かび上がってとても良い雰囲気を醸していた。
 
中に展示されていた作品は光と影の効果を巧みに利用したものが多く、そして庭! 夕闇の中に沈んでさえ存在感を示す日本庭園。あまり広いとは言えないスペースに、岩と庭木でできた見事な庭が構築されていた。昼間のほうが美しい景色を堪能できるのだろうが、夜は夜で虫の声に彩られた濃密な空間を生み出していた。この濃密さは、人が長い間暮らしてきた場所独特のもののように感じた。時間をかけて蓄積され、ひっそりと生まれた何かがいる。それは、古い家の中に飾られた珍奇な品々やそれらを求めてやってくる数多の観光客、熱弁を振るうガイドたちを興味深そうに観察しているのではないか。


上の写真は柴田 眞理子の陶芸作品。実際に触って動かせるようになっているのがミソ。陶器は触ってなんぼ、という考え方があるという。温かみがあってなおかつ儚さを感じさせる触感も素敵だが、やはり光と影の対比が美しい。

右は佐藤 翠の作品。あたかも廊下の突き当りにクローゼットがあるように見えるが、近づいてみると鏡の上に描かれた絵だとわかる。
この古民家は大変懐が深く、ビビッドな今どきのアートと合わせても違和感がないどころか、むしろ新鮮な表情を見せてくれる。
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