2月の初めに、大学OB・OGの小さな飲み会がありまして、名古屋市内に出かけるならついでにボストン美術館に寄ろうと思い立ってみた。公立の美術館と違い、平日は夜7時まで開館しているのでありがたい。
ヴェネツィアは、もともと風光明媚で知られる街だけども、塩野七生氏の
「海の都の物語―ヴェネツィア共和国の一千年」を読んで以来、大変興味ある街に。
街の人々がどんな衣装を着てどんな建物に住んでいたのか、有名な寺院は? 広場はどんなながめ? 実際に描かれた風景を見たくて足を運んでみた。
絵画は16世紀に活躍した画家たち(ティントレット、ティツィアーノ、ヴェロネーゼなど)の作品が多く、街の風景はもちろん、肖像画であったり宗教画が大半を占めるのだが、どれも端正で少しよそよそしく、背景にはきまって自然の山河が使われている。
実際、ヴェネツィアの街は土地の狭さを反映して、水路に囲まれた区画に背の高い建物がひしめき合うように並んでおり、さらに建物と建物をつなぐ橋が無数にあって迷宮のようだ。船着場を持つ豪華な玄関口の奥は仄暗く、よく見えない。広場はあっても、緑豊かな土の上に広がる公園はない。とても人工的な街だ。それは絢爛豪華さとその後ろに潜む闇の対比をいやが上にも思い起こさせる。カーニバルの仮面の下にはどんな顔が隠れているのかわからないのと同じ、謎めいた魅力とでもいおうか。
やがて時がたつにつれて、繁栄は影を潜め、瀟洒な建物も時の重みに耐えかねて少しずつ朽ちてゆく。するとそれはそれで独特の味わいが出てくる。そこをうまく捉えたのが近現代のアーティストだった。写真や版画で技工を凝らした作品たち。ホイッスラーの版画〈耽美なるモノトーンの詩〉やモレルの写真作品〈カメラ・オブスキュラの幻影〉は年月の深みを見事にとらえていて、絢爛豪華な時期の絵画作品よりもずっとひきつけられたのだった。廃墟好きにも通じる闇がある。
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