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びおら弾きの微妙にズレた日々(再)

音楽・アート(たまにアニメ)に関わる由無し事を地層のように積み上げてきたブログです。

   

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「変容」を聴きに

名フィル第431回定期の話です。

演目は
R.シュトラウス 「メタモルフォーゼン〜23の独奏弦楽器のための習作」
ブルックナー 交響曲第9番(コールス版)

このプログラム、ある種のクラオタにはたいそう美味しい組み合わせで、私などは演奏会前日にこのプログラムを知り、その日のうちにネット経由でチケットを確保したほど。席は、指揮者を正面から拝むことができて、奏者の背中がとても近いP席。



メタモルフォーゼンというのは、1945年に晩年のシュトラウスによって書かれた曲で、ソロの弦楽器23台によって演奏される。ソロということは、一人一パートずつ当てられているわけだ。
いくつかの中心となる主題がどんどん変容し、絡まり合いながら、クライマックスを作り上げる構造になっており、だから「メタモルフォーゼン」=「変容」。だが、もうひとつ意味があって、それは戦争のために荒れ果ててしまった国土の「変容」を嘆いている点だ。曲のラストで、ベートーベン「英雄」交響曲2楽章に登場する葬送行進曲がコントラバスによって奏でられる。その時点で、この曲のテーマが、実は葬送行進曲を変形させて作られたものだったとわかるようになっている。
背景を知らなくとも、どこか物悲しいひびきのする弦の音に耳を傾ければ、そこに深く激しい悲しみがうねっているのがわかると思う。

この曲を名フィルがどう演奏したかといえば、「完璧」のひとことにつきる。豊かな中低弦の響き(特にヴィオラがブラボーでした)、奏者同士、完全に息の合った演奏。まったりと美しく始まる冒頭から、中間部、盛り上がって舞台上に炎が見えるくらいに熱くなり、最後は力尽きたように、葬送行進曲の本体をつぶやいて消えてゆく。
ほんと、いいモノ聴かせていただきました、ごちそうさまでした。

ただ、たとえば↓のカラヤン-ベルリン・フィルのレコード(1970年録音)にあるような、深い悲哀というか、どうしようもないやるせなさの成分はあまりなくて、まあ、時代も場所も焦土と化した1945年のドイツからは遠いのだから仕方ないのだろう。


実家からこっそり持ちだしたお気に入りLP
同時収録されている、ベートーベン「大フーガ」
モーツァルト「アダージョとフーガ」も良い。

後半プログラムはブルックナー9番。これも重い曲だ。
8番のシンフォニーで神との出会いを果たしたブルックナーが、続く9番ではどんな曲調になるのだろうと気にしながら聞いていたが、だんだん本人があの世に近づいている感じが伝わって切なかった。
最晩年に書かれており、4楽章は未完のまま絶筆となった。ブルックナー自身も4楽章まで書き上げられる見通しがなかったのか、3楽章ですでにこの世に別れを告げているというモチーフが使われているし、4楽章が完成しなかった場合には「テ・デウム」をかわりに充ててくれと言い残している。が、現在の演奏では「テ・デウム」が流用されることはほとんどなく、3楽章で終わっている。
実際、シューベルトの「未完成」交響曲と似て、3楽章までで充分まとまりがあるし、それ以上言い足すことはあるのだろうかとも思える。

美しい和音の積み重ねが命のブルックナー、この曲ばかりは真正面から聞くべきだったなと、一楽章の冒頭で少々後悔した。P席では、指揮者はよく見えても、管の響きはあまり良い形で届かない。少し残念な思いで、端正なブルックナーに耳を傾けたのだった。
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