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びおら弾きの微妙にズレた日々(再)

音楽・アート(たまにアニメ)に関わる由無し事を地層のように積み上げてきたブログです。

   

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美術館で静寂に耳を傾けるとき(桑山忠明/村上友晴 展)

名古屋市美術館の企画展を見てきた。

静けさのなかから:桑山忠明/村上友晴→

現代美術、それもミニマルアートと呼ばれる分野の作品。前期と後期に分かれ、前期は桑山作品を、後期は村上作品を、それぞれ同じ間取りの展示室に展示する。展示室そのものが作品の一部となる。
以下はパンフレットからの抜粋。
神社の境内や寺院の堂宇のように、教会の礼拝堂やモスクの聖堂のように、あるいは古代遺跡の神殿や砂漠の洞窟のように、二人の美術家の世界が広がった美術館の展示室のなかで、過ぎ去った時間に生きた人間の気配が漂う清らかな空気に満たされた「静けさのなかから」密かに現れてくるものと出会い、微かに聞こえてくるものと対話を交わすことを願っています。
個人的感想はたたんだ先に。

展示室に入ると、まず正面に作品がひとつ。それはシンプル極まりない板。

桑山作品ならメタリックの光沢を持つ板。村上作品は黒く塗りつぶされた板。ただそれだけ。作品に解説は愚か、タイトルさえ添えられてない。(タイトルがわかったとしてもたいていは「無題」。出展作品一覧はちゃんと入り口でもらえる)それが、一つの小部屋にぽつんと一つだけ置かれていたり、また、同じ色形の巨大な板が何枚も並べられていたり。
すると、鑑賞者は与えられた板に対し、自分なりに細部を観察しながら、また、展示された空間を見渡しながら自分の頭で解釈を与えるしかない。ほとんど禅問答だ。

ひとつ、手がかりになるものがあるとすれば、作品を見たときの第一印象。「きれい」とか「圧倒される」「空恐ろしい」などなど。あとは「わけわかんない」と理性が拒絶する直前に、するりと感覚にしのびこんできた何か。

桑山作品の大きな特徴は、完璧さ。完全にに均質な色、傷一つ無く磨き上げられた表面、歪みのない完璧な円柱、などなど。さらにそれらのパーツを緻密に計算して、例えば完璧なシンメトリーに配置する。人工美の極地を目指しているとでも言えばいいのか。なのに作品の前に立つと、言いようのない落ち着きと温もりを感じる。無音の音楽が聞こえてくるようで「静謐」という言葉がよく似合う。

村上作品の大きな特徴は、ざらざらした表面。例えば、真っ黒に塗りつぶされたキャンパスも、よく見れば風化したコンクリのような、あるいは朽ちかけた木の板のような、不均質な表面をさらしていて、それが味付けになっている。
また、赤色を塗った上に黒を塗り重ね、それを紙やすりかなにかでこすって下地の赤を見せているような作品群もある。まるで真っ暗な火山の火口で溶岩がちろちろ見えているようなありさま。
さらにもう一種類、白地の紙の上に長方形のガーゼを転写したような作品もある。これはあたかも遺跡から発掘された古文書を大切に保存・展示してあるかのような雰囲気。
彼の作品にはタイトルのついているものがあって、それは「十字架の道」「マリア礼拝堂」「祈祷書」などキリスト教に関連するものばかりだった。
面白いことに、作品にタイトルがつくと、ただの黒い板が急激に意味を持って見えてくるから面白い。脳が勝手にタイトルと作品を結ぶストーリーを作ってしまうのだ。その結果、ざりざりとした黒い板の中に苦難の道のりを見るようになる。黒の中に混じる赤は血の色。あるいは悲痛の色。黒い板が一枚壁につり下げられただけの展示室は礼拝堂に変わる。鑑賞者は、黒い板の向こうに自分の苦しみを見るかもしれないし、世界にあふれる苦難を思うかもしれない。
さらに、板一枚をありがたそうに見つめている自分をあざ笑う声も聞こえてくるかも知れない。
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無題

  • by woohi
  • 2010/07/05(Mon)05:59
  • Edit
六月に見にいきました。
説明を読まずに見たためか、たった観賞者がひとりだったためか、
さっぱり楽しめませんでした。
>「わけわかんない」と理性が拒絶する直前に、するりと感覚にしのびこんできた何か。
拒絶…したんですね、わたしの脳。

Re:無題

  • by O-bake
  • 2010/07/07 00:19
お返事遅くなってすみません;;
一度書いたはずなのに、投稿に失敗してたみたいです(T.T)

さて、6月にご覧になったということは、黒バージョンですね。
いきなり真っ黒なキャンバスが現れたときには、正直なところ私もドン引きしました。が、それをあえて美術作品と呼ぶからには、必ず何か仕掛けがあるはずだと、脳みそをフル回転させましたよ。

コンクリの表面みたいなザラザラした質感に気づいた時には、垂直の崖にようやく足がかりを見つけたような気分でした。
そこから、「この<黒>は困難や苦しみをぎゅっと凝縮させて表現したものかも」という推理が生まれ、「十字架の道」や「マリア礼拝堂」などのタイトルを見て、恐らく推理は間違っていないのだろうと納得できました。そして「祈祷書」シリーズはまさに祈りの白でした。

一人で鑑賞なさったのですね。私も同じです。たまに他のお客さんが入ってくるのですが、みんな足早に「ふーん」て感じで過ぎ去ってゆきました。私みたいに作品の前のベンチにどっかり腰を下ろして物思いにふける、ちょっとアブナイお客は他にはいませんでした。

そうやって少し考えた結果、真っ黒なキャンバスは落とし穴みたいなもので、その向こうには極彩色の世界が広がっていたりするといいなぁ、などと妄想にふけってたのでした。両極はつながるのです。オディロン・ルドンは、最初白黒の絵ばかり描いていましたが、ある時を境に色彩溢れる幻想的な絵を描くようになりましたから。

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