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びおら弾きの微妙にズレた日々(再)

音楽・アート(たまにアニメ)に関わる由無し事を地層のように積み上げてきたブログです。

   

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美術館全体がロックだった(ビルディング・ロマンス展)

行けるときに行っておかねば、とミュシャ展にひきつづき、今度は豊田市美術館まで出かけた。
開催中の展覧会はコレ。
「ビルディング・ロマンス 現代譚(ばなし)を紡ぐ」
現代の作家によるインスタレーション作品が5点。



出展作家
 飴屋法水
 スーザン・ヒラー
 危口統之と悪魔のしるし
 志賀理江子
 アピチャッポン・ウィーラセタクン





今回の館内展示は、表題の企画展+常設展(所蔵作品プラスαの展示)で、もともと現代作品の展示が多かった豊田市美術館、なんだか館全体が「昔の顔に戻った」的なアットホームな雰囲気だった。インスタレーション作品はけっこう好物で、あいちトリエンナーレでも数多く見てきて、よくわからないながらも面白いなと感じてきた。

今回特に興味をひかれたのが、スーザン・ヒラー《Lost and Found》。30分の映像作品だが、画面に流れるのは、語られている言語の日本語字幕と音声波形のみ。紹介されているのはすべて絶滅したか、絶滅の危機にあるか、休眠中、または復活した言語だ。動物で言えば、幻の――とか稀少種と言われるもの。言葉も生き物で、変化もすれば話者の減少によって絶滅の危機に瀕する。そして言葉ほど使い手の文化を担っているものもなく、ある言語の消滅はその言語を使っていた文化の消滅と言って良い。それがアート作品という形であれ、少しでもすくい上げられるなら、それはひとつの望みといえるに違いない。

もうひとつ、面白そうだけど残念だったのが、危口統之と悪魔のしるし《搬入プロジェクト》。これは「入らなさそうでギリギリ入る物体」を展示室に運び入れる作業そのものが作品であるため、搬入現場にいないと、あまり意味がない(搬入作業はこの企画展が始まる前日に公開されている)。展示室に置かれていたのは、無事に搬入が終わったあとの《搬入物体その1「父子の壁」》《搬入物体その2「物体」》。あとは音声インスタレーション作品《誰もの声も俺は代弁しないから誰も俺の声を代弁するな》。どれも雄弁に、ある故人(危口統之)の物語を語っているのだが、そのためか、他人の心を覗いているような、ちょっと後ろめたい気持ちになった。

プロジェクトの残滓を見ている気分といえば、志賀理江子の写真作品《立ったまま眠っている》もそれに近い感じがする。これは、作品紹介によれば、「この地域であらゆる機械製造に関わる人達を募り、インタビューを行い、美術館の搬出入用巨大エレベーターで、彼らがともに寝ている姿を撮影しました」とある。写真にはエレベーターを埋め尽くす老若男女がいっせいに眠っている姿が映っている。この作品のキモは「機械製造に関わる」ということと、インスタレーションに参加してもよいという意志、この2点だけでつながっている数十人の人間が同じ空間でいっしょに眠るという行為そのものだと思われる。その瞬間を捕らえた写真は、記念行事の名残とも捉えることができ、見方によっては微笑ましくもあり、また作為が透けて見えて面映ゆくもあり、という、ちょっと奇妙な感じのする作品だった。

そしてこれも残骸つながりなのだが、飴屋法水《神の左手、悪魔の右手》(※『闇の左手』とは関係ありません)は、心惹かれるものがある反面、混乱する作品だった。
展示作品は、美術館の備品だったり、吊られてスクラップになりかけの車だったり、壊れかけた壁だったり。ひとつひとつのオブジェは大好物。町中で見かけたら、たぶん写真を撮っている。ところが、たとえば工場の物置にあればなんてことのない物体が、美術館の展示室にやってくると何ともいえない違和感が生じる。あたかも日常が展示空間に侵入してきたような、時空が捻れているかのような奇妙な感覚だ。正直なところ「あえてこれを展示する?」みたいな感想を持った。でも、大抵のインスタレーション作品というのは、こういった違和感や混乱を提示することに意味があったりするので、やはりこれは力のある作品なのだろう。


さて、次は2階と3階フロアで展開されているコレクション展。「ビルディング・ロマンスによせて」というサブタイトルがついて、豊田市美とっておきの現代作品が展示されている。
ソフィ・カル《盲目の人々》や企画展でも出品していたウィーラセンの《ブンミおじさんへの手紙》、河原温の《Todayシリーズ》《百万年・過去》《百万年・未来》など。
自分的には、目の見えない人々に「あなたのイメージする美しいものとは何か」とインタビューし、その答えで構成された《盲目の人々》に再会できたのがとても嬉しかった。この作品は、イメージの力と限界、「美とは?」など、さまざまなことを考えさせてくれる。

そして、最後の目玉は「愛知県美術館✕豊田市美術館」というタイトルのコレクション展。これは、現在改装工事のため休館中の県美から所蔵作品を預かり、豊田市美のそれと対比させて展示してあるもの。たとえば、クリムトの《人生は戦いなり》(愛知県美術館所蔵)と《オイゲニア・プリマフェージの肖像》を並べて置く。ムンク《イプセン『幽霊』からの一場面》(愛知県美術館所蔵)とフランシス・ベーコン《スフィンクス》(豊田市美術館所蔵)を並べて置く。
同じ作家の作品同士だったり、違う作家でモチーフが似ている作品同士だったりで、対比の妙が楽しめるし、何より迫力ある作品がそろっているので、どれだけじっくり見ても見飽きないほど。リーフレットに「観る者が新たな物語や意味を作品たちに付加していくこと、それが観賞することの醍醐味であり、面白さであるといえます」とある通り、自分の感性を働かせながら見ることの楽しさを感じた展示だった。

「見て感心して終わり」ではなく、感じたことを自分なりにまとめるまでが鑑賞なんですね。
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