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びおら弾きの微妙にズレた日々(再)

音楽・アート(たまにアニメ)に関わる由無し事を地層のように積み上げてきたブログです。

   

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足もとに降り積もる声

リニューアルした豊田市美術館へ行ってきた話その1です。


外見はほとんど変わらないけれど、空調機器の更新や、バリアフリー化など、人目につかない場所を大掛かりに改修したという美術館。オープン20周年記念も兼ねて、豊田市の歴史と所蔵作品展が抱き合わせで展示されていた。
それがコレクション展Ⅰ「わたしたちのすがた、いのちのゆくえ」。

1階の展示室に入るとすぐに、1893年に牧野敏太郎によって描かれた〈七州城絵図〉と1888年にアンソールによって描かれた〈愛の園〉がほぼ同時に目に入る。七州城というのは、現在豊田市美術館がある童子山に建てられていた藩主の居城だ。城がなくなった後には学校ができて子供たちが通っていた。
そこから時代は少しずつ下りながら、豊田の町の発展を示す資料、それらと同時代の美術作品が同じコーナーに並んで示される。
例えば、衣が原飛行場の写真とブランクーシ作の彫像〈若い男のトルソⅡ〉。飛行機は当時の技術の結晶だし、トルソ像は光沢のある金属の円柱を組み合わせたかのようなシンプルな造形で、まるで工業製品だ。
戦時中に撮影された和やかと言っていいほどの「隣組防火訓練記念写真」と、従軍して戦争画を描いた藤田嗣治の影に沈んだ自画像、それに美術雑誌へ寄稿した戦争画を奉賛する記事。彼は戦後バッシングを受けるわけだが、戦争画を推奨する記事を読みながら、ソ連の作曲家たちを思い出していた。彼らは共産主義による独裁の時代を生き延びるため、内心を押し隠して表面だけは当局に追従しているように見せかけた。生み出された作品も二重の意味を持つものが多い。
80年代になると、「童子山小学校 省エネ発表会」の写真と、トニー・クラッグの廃物を利用した作品がならぶ。溢れすぎたモノと使いすぎた資源に振り回される時代の到来だ。
こうして見比べてみると、社会の空気に従うにせよ、抗うにせよ、芸術作品と社会情勢は切っても切れない関係にあるのだと感覚的に伝わってくる。同時に、美術館が建つその下の土地には幾層もの人々の歴史が刻まれていることもはっきりとわかる。何もない場所にいきなり美術館が現れたわけではない。先に人の暮らしがあって、その上に何かを託されて建つことになった。その何かが「わたしたちのすがた、いのちのゆくえ」なのかもしれない。


さて、興味深い展示のコレクション展Ⅰの中には、もとから好きな作品があって、それらと再会できたのが嬉しかった。たとえばエゴン・シーレ〈カール・グリュンヴァルトの肖像〉、ベーコン〈スフィンクス〉、中西夏之〈コンパクト・オブジェ〉。
しかし、アラーキーこと荒木経惟の「センチメンタルな旅・冬の旅」がすごくて、これに感動の全部を持って行かれた感がある。冬の旅といえば、孤独な青年の旅を歌うシューベルトの歌曲集なのだが、荒木氏の場合は、死に向かう奥さんを看取る旅だった。まるで日常のスナップなのに、これほど強烈に物語を紡ぎだす組写真を他に知らない。街角の風景や病室の様子、さらには葬儀の様子まで、どれもごくプライベートな体験であるはずが、作品として展示されたとたん、「こんな風景みたことある」という普遍性を持つようになる。世の流行だとか空気感とは別の、人として根源的な「生老病死」をしっかり写しとっているからだろうな。



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