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びおら弾きの微妙にズレた日々

「ワルキューレ」で灰になった話

先だっての6月11日、愛知県芸術劇場コンサートホールまで、愛知祝祭管弦楽団によるワーグナー「ワルキューレ」を見てきた。感想を一言で表すなら、客席まで燃え尽きる熱さ。



まず、ジークムントとジークリンデの禁断の愛に焼かれ、ヴォータンの怒りに焼かれ、最後、ブリュンヒルデを取り囲むローゲ様の炎に焼かれ、灰になって家路についた。
などと言っておきながら、じつは、本番直前まで詳しい筋は知らなかったりする。
フェイスブックの方で、コンマス氏が直前にせっせとワルキューレ解説を掲載してくれたおかげで、予習ができたようなもの。あれは、今思えばちゃんと保存しておくのだった。(FBで過去記事を検索するのはとても困難)

さて、作品の概要を頭にたたき込んだ上で舞台にのぞんでみると、予想外のあれこれに遭遇。

・字幕がヤバい!
これは、もっぱら自分の目の問題で、大変恐縮だが、いちばんショックを受けたことかもしれない。なにしろ、4年前に同じ楽団、同じ会場でパルジファルを見たときには、無問題で字幕が読めたのだから。
2階席中央の後ろ寄りの席にいたのだが、字幕のフォントが眼鏡をかけていてもギリギリ読めるかどうかという微妙なサイズで、台詞を読むのに必死。おかげでオケの聞き所をいくつか逃した気がする。もったいない。そろそろオペラグラスの持参を考えるべき。

・物語の進行がこんなにゆっくりだとは!
大勢の登場人物が入れ替わり立ち替わりして、どんどんドラマが進行してゆく「ラインの黄金」に比べて、「ワルキューレ」は、一人あたりの台詞が多くて長い。長い上に、ところどころ「間」が作られていて、オーケストラが情景描写や心理描写をする。登場人物の描写がものすごく濃い代わりに、イベントの進行が遅いのだ。
だからこそ、人間世界ではあり得ないほどの深く激しい愛を語ることができるし、音楽もじっくり味わうことができるのだが、自分はどちらかというと短気なので、「あなたたちの気持ちはよくわかったから! 次の展開早く!」などと感じてしまうのだった。これは演奏者の問題ではなく、あきらかにそういう音楽の構成にした作曲者の問題だと思う。でなければ、睡魔と戦う鑑賞者の問題(沈)
でも、2幕のヴォータンの独白は長くても大変面白く聞けた。懐かしいライトモチーフが散りばめられていたからかもしれないし、単にリア充のシーンが苦手なだけかもしれない。

・でも長大なドラマが潜んでいる
じれったいとはいえ、ジークムントの過去語りと「ヴェェーーーーーールゼ!」の叫びは思い切り心に刺さった。
「愛のない結婚」をさせられる娘を救い出そうとして剣を振るったものの、気づけば娘の兄たちの命を奪い、当の娘さえも息絶えていたという悲劇は、ジークムントの背負った不幸の重さを象徴している。そして、ジークムントに命と悲劇を与え、さらに救いを与えるはずだった「ヴェルゼ」ことヴォータンを呼ぶ声。まさに「神よ!」ですね。これに応えてトネリコの木が光る場面は鳥肌がぞわり。
対して、何かに追い立てられるかのようにジークムントにモーションをかけるジークリンデには鬼気迫るものを感じてしまう。彼女の台詞のひとつひとつに「HELP ME!」という思いが見え隠れするすごさ。これが最高潮に達するのが、ジークムントがノートゥングを引き抜いた瞬間の叫びだった。
二人の間に愛が開通するその瞬間を、月光が祝福するというのもなかなか意味深だ。月は夜の支配者であり、「ルナティック」という言葉に表れているように、狂気の象徴でもある。二人の愛は、日の光の下では決して祝福されない、ある意味狂気の愛なのだから。

・とんでもないワルキューレ
有名な「ホヨトホ」「ハイアハー」の雄叫び、どのくらい凄いんだろうと思って楽しみにしていたが、2幕冒頭のブリュンヒルデ登場時に、すっかり参ってしまった。人間の声であんな音が表現できるなんて!と。
3幕冒頭では「ワルキューレの騎行」とともに、8人のワルキューレンが登場するのだが、なんというか、女子高生のおしゃべりが超パワーアップした感じで楽しかった。(ワルキューレンの中には昨年ラインの乙女だった人や、大地の女神だった人や、懐かしいお顔がいくつも!)
容赦なく鳴らすオーケストラにかき消される瞬間もあったけれど、それはしょうがない。暴走を始めた 王蟲 オケは簡単には止まらない。

・超正統派悪役のフンディング様
フンディングって、ジークムントの敵みたいな登場の仕方をするけれど、よくよく台本を確認してみると、直接の敵ですらない。それに「愛のない結婚でジークリンデを娶った」のは、あの物語世界ではむしろ普通。恐らくジークリンデだって、ちゃんと入り口に鍵をかけて(笑)ジークムントを家に入れさえしなければ、平凡な主婦として一生を送る可能性もあったのだ。それが本当に幸せと言えるのかどうかは脇に置き。
でも、「愛のない結婚を許せない(これは当時の社会ではむしろ異端な考え方)」ジークムントにとっては、紛うことのない敵であって、自分が生きるためにはどうしても倒すべき相手なのだとわかる。
フンディングには、ジークムントの敵として、申し分ない威厳といやらしさを持っていて欲しかったのだが、なんてこととだろう。舞台に登場したフンディング様は、ヴォータンに呪い殺される瞬間まで理想のイメージそのまんまだった。(昨年の巨人族撲殺シーンがフラッシュバックしたのはここだけの話)

・フリッカも正統派
あらすじだけを知っていると、いかにもフリッカがヴォータンの壮大な計画をぶち壊し、死ななくても良かったはずのジークムントを殺した犯人、みたいなイメージを持つが、フリッカの言い分とヴォータンの言い分を真面目に聞いていると、どう考えてもフリッカに利があるとしか思えない。
というのは、フリッカは結婚の神であり、結婚とは男女の間で交わされる神聖な契約だ。フリッカが何よりも守らなくてはいけないものは、この契約なのだ。なのにヴォータンときたら「契約の神」であるくせに、「愛ガー」「自由ガー」と言っては結婚の契約を破りまくる。フリッカの怒りは当然のことだ。そして、フリッカは神。人間の命などチリ程度にしか考えていない。人間界のことにあれこれ鼻を突っ込むヴォータンには、この意味でも我慢ならない。
本当にフリッカは筋道正しい。そして愛と自由は筋道を乱すものでしかない。
逆説的だけど、だからこそヴォータンの心が離れていったのだろうな。何とも悲しい女神様だ。

・ヴォータンて何者?
いやもう、ヴォータンはすごい。何もかもしっちゃかめっちゃかにして去って行く。
自分で「契約」という概念を神々の世界に持ち込んでおきながら、何かあると「契約にしばられて自分は自由に動けない、なんてことだ」と嘆く。
しかも強大なパワーを持っているから、いろんなところに愛をばらまくし、怒らせれば何が起きるかわからない。
しまいには「終焉を!」と叫ぶ始末であります。ローゲ様がトン面するのも無理はない。
なのに、惹き付けられる不思議。
制御不能なエネルギー、というか、怒濤の生命力を感じるからなのかもしれない。
こんな喩えがふさわしいのかどうかわからないが、自然の力を畏れる山岳信仰に近い感じ。
そんなものすごいヴォータンだった。

・結局……
演じている最中の歌手の人たちって、どう見ても人間じゃない……。神がかった何者かですよ。
そのパワーに対抗できてしまうオーケストラも、決してまともじゃない。

・ローゲ様!
今回のローゲ様は、炎の姿のみの出演だったけれど、ラストを飾るにふさわしい華麗さだった。恐れを知らぬ勇者が訪ねてくるその時まで、しっかりブリュンヒルデを守ってくださいませ。
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