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びおら弾きの微妙にズレた日々(再)

音楽・アート(たまにアニメ)に関わる由無し事を地層のように積み上げてきたブログです。

   

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「夜」はカオスを内包できるほどに懐が深い

名古屋マーラー音楽祭、9月はオルカフィルによる交響曲第7番「夜の歌」。

日時:2011/9/4(日) 15:00開演
会場:愛知県芸術劇場コンサートホール
演奏:オルカ・フィルハーモニー管弦楽団
曲目:マーラー/交響曲第7番「夜の歌」
指揮:角田鋼亮

詳しくはこちら→http://mahler.nagoyaongakunotomo.or.jp/ja/part1/201109

当日は子どもたちそれぞれに用事があって送迎が必要だったり、家人は体調悪そうにゴロゴロしているし、おまけに天気は悪いし、果たしてコンサートホールへ出かけるだけの余裕はあるのか?(時間的にも精神的にも)、という状態だったが、出かけてよかった。帰りにマイミクさんたちとお茶もできて、なお良かった。
7番は、編成がアレな上に難解曲として有名なせいか、生で聴ける機会はあまり多くないから、やっぱり行ける時に聴いておかないと。

そんなこんなで家を出たのがギリギリだったため開演時間に間に合わず、1楽章は3階席のロビーで待つ羽目になった。ベンチに腰掛けて、スピーカーから流れてくる音に耳を傾ける。のっけから申し訳ないが、弦も管も高音部のピッチが大変そうだなぁ、時々リズムが転ぶなぁと生意気なことを思いながら聴いていた(もちろん自分のことは棚に上げたまま)。ただし、曲のメリハリはきっちり効いていて、曲の迫力とかっこ良さはガンガン伝わる。
そして、2楽章以降、ホールの中で聴いてからは細かい粗が全然わからなくなった。曲作りの見事さに引きこまれ、同時にオケの調子も上がってきたのだろう。とにかく技術的にとても難しいのは見て取れるので「あんなのよく弾くなぁ」とか、うまいことアンサンブルを成立させてるなぁと感心することばかり。そもそもマーラーをやるのにエキストラが数名しか必要ないってどうよ?と驚いたのだった。

座った場所は3階下手寄り、前から3列目。まずチェックしたのは打楽器センター。いやはや、7番も凄いものだ。6番で登場した「低音の鐘」やカウベルが再び登場している。ハンマーはないが、代わりに(?)マンドリン及びギター、テナーホルンが加わった。当たり前のようにハープは2台。マーラー先生、張り切ってます。
テナーホルンは、ぱっとみたところワーグナーチューバそっくりだし、聞きなれない楽器名なので、おや? と思って調べてみると、マーラーが生まれ育った土地では、ユーフォニウムをひと回り小さくしたようなテナーホルンという楽器がポピュラーに使われていたらしい。1楽章で活躍するとのことだったが、さきほど書いたとおり、ロビーで聞く羽目になったため、雄姿を拝めなくて残念。

席についてほどなく、「夜曲1」こと2楽章が始まる。確かに曲調は夜曲ぽいのだが、なんと不安を引きずった夜なんだろう、とこっちの気持ちまで落ち着かなくなる。穏やかになろうとしてなりきれず、消化し切れないストレスのせいで悪夢を見ている感じ。

3楽章はおなじみスケルツォ。スケルツォといえば諧謔的な空気はつきものだけど、7番は歪み方が洗練されすぎて怖いぐらい。ティンパニとチーム低弦(?)のコラボに惚れ惚れした。

「夜曲2」の4楽章は、これが本物の夜曲だといわんばかりに純粋に美しいのだが、美しすぎて彼岸を思い浮かべてしまう。10番の1楽章と同じにおいがする。マーラーはこの世ではない場所にしか安らぎを求められなかったのではないか。だとしたら切なすぎる。

最後は、一応それなりに華々しく終わる5楽章。あくまでも「一応」てところがミソ。
聴き終わってから、パンフレットに掲載されていたものをはじめ(マーラー音楽祭統一パンフのほかに、7番専用の解説パンフがついていた!)、web上の解説を探して読んでみたが、この5楽章は物議を醸しだしているらしい。
というのも、この楽章における華々しさは誰が聞いても胡散臭さすぎるからだ。自然な流れで盛り上がるのではなく、強引に、「それがルールだから盛り上げて見せました」的なわざとらしさが鼻につく。
これを構成上のミスととるのか、それとも演出と取るのか(つまり従来の苦悩→勝利という音楽の流れを皮肉って見せた)、演出と取るにしても作曲者の意図は何だったのかという点で意見が分かれており、7番が「難解」と言われるのは、この5楽章をどう解釈したらいいのか困るから、というのもあるらしい。

そんな論争があるとは知らない状態で聴いたわけだが、自分の耳にはまるで「絶望万歳」と高らかに叫んでいるように聞こえた。テーマを表す主題が下降音型であり、気分が自然と下向きになってしまうような音の並びになっているため、聞くたびになんとも言えない鬱屈感が心に打ち込まれる。それを高らかに何度も連呼するのだから、絶望の勝利を歌っていてなくてなんだろうと思ってしまったわけだ。
それに、あの、絶望で終わる6番の次の曲だ。「絶望を乗り越えた先に希望が」などと言葉で言うのは簡単だし、薄っぺらい。7番は安らぎと希望を見つけようとするフリと、どうやっても誤魔化し切れない深い不安感や閉塞感が同居することになったのではないかと推測する。

夜に見る夢がカオスであるように、7番「夜の歌」にもまた、整理のつかないさまざまな感情が落とし込まれていて、混沌とした美しい世界を作り上げている。オディロン・ルドンの幻想的な絵を何度も連想した。これは言葉や論理で説明をつけてはいけない世界なんじゃないかという気がする。

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終わりなき真夏の悪夢

  • by かず
  • URL
  • 2011/09/06(Tue)23:17
  • Edit
こんばんは~マラ7と聴いて、頼まれなくても引き寄せられて来ました^^;

7番はワタシも熱狂的にハマった曲の一つです。
そうそう、曲全体が「熱帯夜の寝苦しい夜に見る、終わらない悪夢...」という印象です。個人的には、マーラーの交響曲の中でも、もっとも好きかも...
一楽章からして、虚ろな響き、そして行進曲...
唐突感が、いかにも悪夢っぽくていいですねぇ。
4楽章のNachtmusicⅡも、その美しい響きの向こうには、魑魅魍魎が跋扈していそうな感じですし、フィナーレも、絶望と歓喜、そして狂気が渦巻くカオスの世界ですよね。
とは言いつつも、ベルリオーズの幻想とは、また異なる「悪夢感」ですし...
うーん、何と表現てよいやら。

そうそう、思い出しました...インフルに罹患し40度の高熱でうなされながら眠っているときの感じ...です(その点、ベルリオーズの場合は、「居酒屋、養○の瀧」あたりの安い日本酒を痛飲したあとの、あの嘔吐感と頭痛を伴う悪酔い^^;)。

マーラー自身、この曲に強い思い入れがあったようです。
初演(1908年、チェコフィルでプラハでしたか?)には、のちに大指揮者となるブルーノ・ヴァルターなども手伝いに駆け付けたそうです。
とにかくオケが曲を理解できず(当たり前か...)、リハーサルが終わるごとにすべてのパート譜を回収、マーラー自身がほぼ徹夜で修正を加えて、翌日、またリハ...オケにとっても地獄だったのでしょうね(だって、前日やったことがゼロになっちゃうのですから)。
ということで、初演の評価は散々(これも、理解できます...聴衆もフィナーレで「置いてきぼり」になったのではないかと...)

この曲、一度聞くと、しばらく3楽章(魑魅魍魎たちのワルツ?みたいな)が頭の中をぐ~るぐるの曲なので、聴くのが怖いです^^;

終楽章については、その意味に関して様々な解釈がありますが、カオスにせよ破綻にせよ、「夢の中だから」脈絡がなくてよいのではないかと、個人的には思います。

本人は立派なことしていると思っていても、実は脈絡がなく破綻している...ひょっとしたらこのカオス感は、人の人生そのものに通じるような感があるから共感できるのかもしれませんね...
ワタシの場合は...後ろを振り返らず、反省のない、思い付き
で行動するO型ですからよくわかりますよ..ええ...。
振り返るとまさに、この曲のような...人生...鴨(; ̄  ̄)
きっと最後(死に際)は都合よく、自分で適当な勝利感をくっつけてオシマイ...みたいな...(違

ハナシがうまく畳めないので、この辺で逃げます
-=≡ヘ(* - -)ノ

Re:「夏の夜の夢」なら大団円

  • by O-bake
  • 2011/09/08 00:50
いらっしゃいませ〜。
濃い書き込みをありがとうございます。
(長風呂で失礼しました)

なるほど、悪夢、一言で言えばそうですよね。
比較対象として「幻想」を持ってくるあたりさすがです。実際、マーラーは特にオケの編成に関して「幻想」から影響を受けてるみたいですし、5楽章の空虚な熱狂と、「幻想」の4楽章、魔物たちの宴会はよく似た空気を持ってます。
初演は仰る通り、チェコフィル&プラハです。あのように複雑な曲ですから、困難を極めたのは想像に難くありません。頭の中のカオスをそのまま音にしちゃったような音楽ですから(マーラーはそれができる天才だったということにもなりますが)、作曲者本人以外にはわけがわからない、というのが正直なところでしょうか。5楽章は人を食ったようなフィナーレですから、聴衆は「置いてきぼり」を通り越して怒ってたんじゃないでしょうか。

しかしアレですねぇ、
マラ7→高熱にうなされてる時の悪夢(タ●フル服用後?)
幻想→悪質な二日酔い(いかにも自棄酒って雰囲気で)
のたとえが、ハマりすぎて腹筋がどうにかなりそうなんですが。
それでもって、カオスと人生をリンクさせてしまうところがまた笑うしかないといいますか、どうせカオスなら途中がどうであれ最後に笑った者勝ちだと思います(キリッ)

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