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びおら弾きの微妙にズレた日々

あのハンマーは生で見るに限る

名古屋マーラープロジェクト、7月の巻は、名古屋市民オケによるマーラー6番「悲劇的」。わざわざ仕事の休みをとって出かけたが、聞いてよかった演奏会のひとつ。チラシもいい感じ。クリムトの絵と合わせるなんてありがちすぎるかもしれないけど、好みのツボにはまってます。

マラ6チラシ
名古屋市民管弦楽団第66回定期演奏会

2011年7月3日 13時30分開演
於 愛知芸術劇場コンサートホール

プログラム
モーツァルト 歌劇「魔笛」序曲
マーラー 交響曲第6番「悲劇的」

指揮 現田茂夫



さすが老舗の市民オケ、ピッチが抜群にそろっているし、リズム感も危なげない。
ひとつ残念だったのは、呼吸が浅いな、と感じてしまったこと。音を体の芯で捉えきる前に流してしまっている感じがあって、モーツァルトの出来は、きちんとそろっているけどエッジの立ってない演奏に聞こえた。モーツァルト特有の疾走感が足りないというか。
その点、楽団員をあまり信頼していなかったらしいマーラーは、とにかく楽譜通りに音を出せば(これがまた難儀なことなんだけど)音楽として成り立つように曲を作っている。だから6番は掛け値なしに楽しめた。
マラ6なんて、20年近くまともに聞いていなかったので、果たして予習も何もなしで演奏を楽しめるのか心配だったが、冒頭の行進曲を聞いた途端に何もかも思い出した。ような気分になった。少なくとも、学生の頃はさんざん聴いていて、でも曲のスケールがあまりに大きすぎて消化不良のまま記憶から薄れていったことを思い出した。表層的な記憶は消えていても、身体のどこかが響きを覚えていたという感じ。ほっとした。

それから、食い入るように市民オケの打楽器センター(!)を観察した。というのも、マーラーの曲はどれも編成が大きいが、6番は打楽器の充実ぶりが半端ない。パンフレットから打楽器群を転載してみると……。
ティンパニ 2セット
大太鼓、小太鼓、銅鑼、
シンバル、トライアングル、
シロフォン、グロッケンシュピール、
ルーテ(鞭)、ヘルデン・グロッケン(カウベル)
ティーフェス・グロッケン・ゲロイデ(低音の鐘)、
ハンマー

ハンマーですよ、奥さん。
カナヅチなんて可愛いものではなく、杭を地面に打ち込むときに使えそうな大きなハンマー。振り下ろすために持ち上げると、思わずよろけてしまいそうなブツだ。これを床(といっても床に見立てた木の板)に打ち付ける。音も衝撃も半端ない。これで甘い幻想や希望を打ち砕く。
このハンマーに匹敵するのはチャイコフスキーの序曲「1812年」で登場する大砲ぐらいのものだろう。それで、マラ6といえば「ああ、ハンマーの曲ね」と言われるぐらいなのだ。
また、ハンマーほど強烈な存在感があるわけではないが、地味にすごいのがティーフェス・グロッケン・ゲロイデ。作曲者的には遠くで鳴り響く教会の鐘の音をイメージしているらしいが、なにしろそういう楽器は売られていないし、製造もされていないので、手作りする、あるいは代用品を探すしかないという。市民オケの場合は素材を探してきて自作されたとか。素晴らしい。打楽器奏者は金属加工の技術も必要なのだ、たぶん。

手作り? 代用品? と聞いて、ある曲を思い出した。昨年の春に弾いたベルリオーズの「幻想交響曲」だ。確かあの曲もティンパニが2組必要で、その他の打楽器も充実しており、何より「鐘」の存在感が異色だった。魔物の宴会の最中に鳴り響く教会の「鐘」だ。あの鐘もボンベを切って手作りしたという貴重品で、とてもそれらしい音色を出してくれたことを思い出す。
(さらに言えば、「幻想」が恋人のテーマを中心に展開していたこと、マラ6でアルマのテーマが形を変えつつ頻繁に登場していたことを思うと、マーラーは6番において「幻想」を意識してたのかもしれないなと思う)

それで、約20年ぶりにこの曲と向き合った感想は。
「渋い! カッコイイ……」
もちろん5番もカッコイイんです。でも、上向きのかっこ良さであり、苦悩はあるけれど、ベトベン的に苦しみを乗り越えて愛を得て、ハッピーエンドで終わる。まるで出来のよいハリウッド映画を見ているようなノリがいい。
対して6番は、下向きのかっこ良さであり、苦い人生を苦いまま表現しきったという大人の味ですな。確かに、生きていれば嬉しいこともあり愛する人にめぐり合うこともあるけれど、それと同じ、いや、それ以上に悲劇的な何かが待ち受けているわけで、それでも与えられた生は生き抜くことしかできない、という一種の諦念が印象に残って、優れた小説を読み終えた時のような感動がある。
うん、こうして6番を味わえるようになったということは、少しは大人になったのだな、自分。
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