昨日の朝、娘を学校へ送る時、カーラジオから聞こえてきたのはブラームスの交響曲第一番、一楽章だった。
「これはガンガン鳴らす曲なのよ♪」
とボリュームのつまみをくいっと回すと、娘に
「やっぱりママってよくわかんない」
とあしらわれた。
「これはね、あなたがお腹の中にいたころ、弾いていた曲なんだから」
と言ったらもう少し違う反応が返ってきただろうか。
いや、どうせ覚えていないんだから、やっぱり「ふーん」で終わるだろうな。
そういう娘は「エリーゼのために」にはまっている。
彼女のピアノのレベルは、バイエルの下巻が終わりかけ。
きちんさ弾きこなすには、まだ無理があるが、本人はこの曲がひどく気に入っていて、毎日のように練習している。実際それなりに進歩しているんだから、馬鹿にはできない。
もちろんピアノの初級者にとっては憧れの曲として有名だけど、娘の心をつかんだのは有名性より正真正銘メロディの美しさだと思う。
にしても、親子でベートーベンかい。
話はブラームスにもどって、ブラームスもまたベートーベンに多大な影響を受け、あの第九を引き継ぐ曲としてシンフォニーの一番を書いたわけだけど、曲の中身が実に濃い。
曲の基本的な構成は、古典的なんだけど、旋律同士の絡ませ方、テーマの膨らませ方、クライマックスの作り方など非常にこみ入っていて、劇的。
言い方は悪いが「怨念がこもっているなー」という印象。
その辺、ベートーベンは感情的にあっさりしているし、クライマックス部分は外に向けて盛り上がっている、と思う。
部品を設計図通りに組み合わせて壮大な建築物を造ったぞ、すごいだろう、という感じ。もちろん部品も設計図も自前で準備するのだから、簡単に出来上がる物ではないという前提で。
ブラームスも設計図通りに部品を組み立てるのだが、ひと癖ふた癖ある設計図である上に、部品の一つ一つに強い念が込められている感じ。
クライマックスの盛り上がりは内向きのパワーが感じられる。うーん、難しい。心の内部に食い込んでくるような盛り上がりと言ったらいいのかな。
そこへ行くと、シューマンはひたすら上、つまり理想の世界を見ているし。
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