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びおら弾きの微妙にズレた日々

よき(音楽的)救世主たらんことを

のっけからアレだけど、プロコフィエフって、これ以上ないくらいに"noblesse oblige"を果たした人だと、思った。
一般的に「ノブレスオブリージュ」といえば、貴族には貴族の義務がある、つまりそれなりの地位と力を持つ人間は社会に貢献する義務があるという意味だけど、これは、ものすごい才能を持って生まれた、能力的に貴族な人にも当てはまるように思う。世の中には、時どき超人的な能力を持って生まれる人がいて、彼らがその能力を生かしきれないままいる、というのは金持ちが財産を金庫に入れたまま使わないでいるのと同じだと考えられないかな。

プロコフィエフも非常に恵まれた能力を持って生まれた一人で、もともと頭がいい上に音楽の才能にも秀でており、常にエネルギッシュな天才だった。彼に難点があるとすれば、天狗のように高くしかもちょっとやそっとでは折れない鼻柱と、音楽のこと以外はどうでもいいという視野の狭さだった。らしい。
出典は↓に。


プロコフィエフ―音楽はだれのために? (作曲家の物語シリーズ)

いつも言っているように、ひのまどか氏の手がける音楽家の伝記は、子供向けでありながら……いや、子ども向けだからこそ、クオリティが高い。丁寧な現地取材、平明で偏りのない語り口。そして一番好感が持てるのが、、作曲家に対する敬意と愛情。ある作曲家の基本を知るには最適の伝記だと思っている。

今回のプロコフィエフの伝記も、かつては謎に包まれていたソ連時代の出来事がかなり具体的に書かれていて、とても興味深く読めた。
音楽が生活のすべてであると同時に、ものごとの価値を計るものさしでもあったプロコフィエフといえど、ロシア革命やその後樹立したソビエト政府の一党独裁政治の影響は否応なく降りかかってくる。例えば、革命による混乱を避けるために欧米を15年も放浪したし、一大決心をしてソビエトとなった故国にもどったのはいいが、社会主義の抑圧の中で妻と不仲になり、さらにKGPによって離婚させられる(プロコフィエフの妻はスペイン系の女性で、外国人であるというだけでKGPに目をつけられていたらしい)、当局の推薦する作風の曲しか公には認められない、逆らえばたちまち仕事を干されるなどなど、自由な活動とは程遠い環境に置かれた。

ところが彼は創作力を失うどころか、生み出す音楽のレベルがどんどん上がってゆく。そこが超人的なのだ。政府当局は民衆にとってわかりやすい音楽を求め、若い頃は型破りな音楽を作っては教授陣を困らせたプロコフィエフも、その方針にしたがわざるを得なかった。従いつつ、最高品質のものを提供した。その結果、傑作がいくつも生まれた。たとえば、昔の音楽の教科書には必ず載っていた「ピーターとオオカミ」。プロコが政府の意向にそぐわない音楽家として、仕事を干された時でさえ上演禁止にできなかった人気作品「ロミオとジュリエット」。新しい文化に敏く、映画音楽にも意欲的に取り組んだ。

プロコフィエフの少し前、ウィーンでやはり天才作曲家のマーラーが活躍しているが、彼は過酷な運命に屈服するかのように、絶望の色が濃い、しまいには彼岸にまで到達しそうな音楽を作るようになった。また、フィンランドの国民的作曲家と言われるシベリウスは年とともにどんどん自分の世界に引きこもり、素晴らしいけれども一般の聴衆がついてゆけないレベルの音楽を書いた。一方でプロコは過酷な運命をむしろ糧にしながら、大衆に受け入れられる方向で音楽のレベルを上げてゆく。

この違いはどこにあるのかといえば、プロコは職人タイプの音楽家だったことにあるように思う。彼は共感できる作曲家としてハイドンやモーツァルトを挙げ、逆にベートーベンやマーラーは嫌っていた。ハイドンもモーツァルトも芸術家というよりは音楽職人に近い。また、規則正しい創作スタイル、バレエやオペラなどチームを組んで制作する仕事を好んだことを思うと、やはり彼は自分そのものを表現するタイプではなく、求められたものを最高品質で提供することに喜びを感じる職人タイプだったのだろう。だから個人的なつらさと仕事をきっちりわけて創作することができた。あるいは生活のストレスを仕事をすることで紛らわしてた。

そしてもうひとつ。プロコフィエフは、自分がロシア人であるという明確なアイデンティティを持っていた。亡命が可能な身でありながらわざわざロシア(もちろん当時はソビエト)に戻ってきて不自由な生活にはまりこんでしまうが、亡命しなかったことについてあまり後悔はしていないらしい。青年時代に海外を転々としたものの、結局故国を離れるべきではないという判断をしたわけだ。
マーラーの場合はユダヤ人であるから、歴史的に根無し草の民であるし、実際どの土地にいてもよそ者扱いをを受ける生まれだ。その辺の事情もあって、ある種の「自分さがし」的な音楽にはまっていったのかもしれない。

もちろん、どちらがより優れているかという話ではなく、ただ、同じ天才でもタイプはいろいろあるよという話。

個人的にはハイドンやプロコのような職人タイプの作曲家の生き方は、すごく憧れる。


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