もうじき本番を迎えるジークフリートだが、これまで物語の内容については深く考える暇がなく、マエストロの解説を聞いては「へー、深い話だなあ、ただの冒険譚とは違うなあ」くらいにしか思っていなかった。この時期になってやっと、本を読むように歌詞の対訳を読み込んでみたら、まあなんと近代的な面白さにあふれていることか。小説を読んでいるみたいだ。かつて「政治的に正しい〇〇話」シリーズが流行ったが、そんなものは150年も前にワーグナーがやっていた。「政治的に正しい英雄譚」みたいなノリで。
ということで、どんなふうに面白いと感じたか、ここに書いてみようと思う。
まずはあらすじをごくごく超訳的に説明すると……
深い森の中、養親に育てられた孤児ジークフリートは自分の生い立ちを知ると、父の形見の剣を携えて竜退治に。見事竜を仕留め、お宝と妻となる女性を得る。
骨組みは、英雄の冒険物語そのまんま。しかし、登場人物と彼らが持つ因縁をたどってゆくと、一筋縄ではゆかないどころか、冒険物語がオマケに見えてくるぐらい陰謀の網が張り巡られされていることがわかる。さらに彼らは「英雄」「悪役」「道化」といったステレオイプな分類ができない、深みのあるキャラクターとして造形されており、その心の機微は音楽で補強……いや、何倍にも増幅されている。
では、もう少し肉付けして内容を紹介してみよう。
舞台は森の中の洞窟。そこには年老いたニーベルング族の小人、ミーメが暮らしている。同居人はやんちゃな盛りの少年ジークフリート。今日もクマを生け捕りしてきたかと思えば、そいつをミーメにけしかけては大笑い。この少年ジークフリートは、頭痛の種ではあるが、ミーメにとってはお宝につながる大事な手がかり。というのも、ジークフリートは神々の王ヴォータンに愛されたヴェルグンズ族の生き残りであり、彼こそが大蛇ファフナーを屠って大量の宝とラインの黄金でできた例の「指輪」を手に入れるであろうことがわかっているからだ。これまで大事に養育してきたが指輪さえ手に入ればもう用はなく、始末してしまう気満々。しかし、「指輪」を狙っているのは彼だけではなく、ラインの黄金を指輪に仕立て上げた兄のアルベリヒ、そして何よりジークフリートの祖父にあたるヴォータンも同じことだった。「指輪」には、そうさせるほどの力があるからだ。世界を支配する力、そして所持者に災いをもたらす呪いの力。
そういったしがらみを何も知らないジークフリートは、あたかも運命に踊らされるかのように「恐れを知らぬ者」として最強の剣ノートゥングを鍛え上げ、大蛇を退治し、自分の暗殺を目論むミーメを返り討ちにして「指輪」と「隠れ頭巾」を手に入れるのだ。
これでジークフリートが自由になったかといえば、そうではなかった。やるせなさに浸る彼に小鳥が呼びかける。岩山の上に眠れる乙女がいると。その声に導かれ、無邪気さと若さに任せてヴォータンの横槍をへし折り、火の輪をくぐって荒れた岩山を登り、たどり着いた先で出会ったのは、魔法で眠らされたワルキューレ、ブリュンヒルデ。ブリュンヒルデには、目覚めて最初に目にした男性の妻となることが運命づけられている。ここでもやはりジークフリートは、仕組まれた罠にハマるかのようにブリュンヒルデを目覚めさせ、恋に落ち、愛の二重唱を歌いながら幕切れとなる。「輝きながら愛し、笑いながら死のう!」と。
ともに笑いながら、滅びましょう、
ともに笑いながら、没落しましょう!
消え去れ!輝くヴァルハラの世界など!
壮麗な城よ!崩れ落ちて塵になれ!
神々の栄華よ、さようなら!
歓喜のうちに滅びよ!不死の一族!
さあ、ノルンたち!運命の綱を引きちぎれ!
神々の黄昏よ、たそがれ始めて!
滅亡の夜よ、立ちこめて!
(ブリュンヒルデのパート:オペラ対訳プロジェクトより)
「リア充爆発」と言われやすい本作だし、ハッピーエンドと言えなくもないが、これではクリムトの「接吻」を彷彿とさせる崖っぷちのハッピーエンドにしか見えないではないか。「英雄」も仕立てられた英雄にしか見えず、なかなか現代的だ。どうしてこうなった?
続きは次の記事で。coming soon!
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