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びおら弾きの微妙にズレた日々

バイオリンは鍵盤楽器に駆逐されました、な協奏曲

5月20,21日にわたって行われた名フィル定期演奏会。
今回は「ソ連」特集ということで、ショスタコーヴィチとシュニトケが取り上げられた。聞きにいけるかどうか直前までわからないカオスな状態だったが、なんとか時間を作り、21日に当日券ですべりこむことができた。

名フィル第435回定期 プログラム
ショスタコーヴィチ バレエ『黄金時代』より「序奏」、「ポルカ」、「踊り」
シュニトケ ヴィオラ協奏曲(ソリスト:アンドレア・ブルガー)
ショスタコーヴィチ 交響曲第6番
指揮:ドミトリー・リス


このプログラム、いい具合にマニアックで、普通に聴いても面白いと思うが、びよら弾きとしてぜひ生で体験しておきたかったのがシュニトケのVlaコンチェルト。
前もって、名フィルのツイッター公式アカウントさんで告知されていたのだが、シュニトケのVla協にはバイオリンがいない。中低弦+三管編成+各種打楽器という編成なのだ。ではバイオリンが本来いるべき場所には何があるか。そこには鍵盤楽器とその親戚、すなわち、ピアノ、チェレスタ、ハープシコードとハープが並んでいた。いっしゅん「バイオリンはブルジョワの象徴なので消しました」というブラックジョークなのかと思ったが、本当のところは、ソロヴィオラの音がバイオリンにかき消されないようにという配慮らしい。ヴィオラの音は音域的にも音質的にも埋もれやすいからね。
現代の名ヴィオリスト、ユーリ・バシュメットの依頼で作曲されたこの協奏曲は、第一楽章の主題に、バシュメットの名前の文字、B-A-S(Es)-C-H、つまりシ♭-ラ-ミ♭-ド-シの音が使われている。また、バシュメットが弾くということで技巧的な制約を考慮する必要がなく、容赦無い高音あり、めんどくさそうな重音あり、左手ピチカートありで、難易度はいかにも高そうだった(手の大きな人が羨ましい)。
これを、ブルガーは伸びやかに情感豊かに弾いていた。全体的に明るい曲ではなく、むしろ深遠だったり感情を爆発させるような曲想なのだが、わざと深刻ぶったりもったいをつける様子はなく、自然体でしかるべき音楽を引き出している印象を受けた。曲が始まる前、名フィルヴィオラのトップ奏者と親しげに握手を交わしたり、アンコールで舞台に呼び戻されたときの振る舞いが非常にチャーミングで、この人のソロはまた聴きに来たいと思った。

ショスタコーヴィチも期待していったわけだが、今まで抱いていたイメージと違う音楽にびっくり。
『黄金時代』はパロディ要素をふんだんに含んだ喜劇ということで、音楽も底抜けに明るく、狂気と紙一重の盛り上がりっぷりに笑いがこみあげてきた。
交響曲第6番は、かの有名な5番とは対照的に、標題がなく曲想も落ち着いていて正直地味なシンフォニーだ。プログラムの解説によれば、作曲家本人が書簡で「この作品によって春や喜びや若さの気分が伝えられたらと思う」と書き綴っているので、もし標題をつけるとしたら「春」なのだろう。しかし、シューマンのような爆発的で天真爛漫な喜びに満ちた「春」ではなく、どちらかと言えばベートーベンの第6交響曲のような自然の美しさの影絵、といった風情だ。
一番印象的だったのは、ゆったりと叙情的な旋律が続く第一楽章において、ごく微かにうなる通奏低音のような響きが聞こえてきたことだった。最初は空調の唸りか? と思ったが、コンサートホールではあり得ない事態だし、よくよく見れば、ヴィオラやチェロがごくゆっくりと弓を動かしていたのだった。恐ろしく小さな音なのにいったん気づくと耳から離れないし、もしシューマン共振が聞こえたとしたらこんな感じではなかろうかという気がした。
実はヴィオラ協奏曲の第一楽章でも同じように、旋律の影で弦の低音がほんのわずか鳴り響いていた箇所があり、不思議な感覚を覚えた。恐らくCDではあまり感じ取れないのではないだろうか。生演奏ならではの醍醐味。

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