名古屋ブラームスリングシンフォニカ、略してぶらりんオケの第4回演奏会を聞いてきた。
今回は重厚過ぎるオールブラームスプログラムで、がっつり楽しみたい人にはぴったり。
演奏順に
ピアノ協奏曲第2番
悲歌
交響曲第4番
まるで肉料理が2皿出てくるようなフルコース。
演奏会場となった
しらかわホール、実は足を運ぶのは初めて。国内では有数の響きの優れたホールだというだけあり、2階席の端にいても良くまとまった響きが届く。特に管楽器がよく鳴っていて、たまにバイオリンの音を消していた。
ピアノ協奏曲の2番をきちんと聴くのも初めて。まるで交響曲のような濃さにびっくりした。重いけれど苦しくない音楽。上機嫌だけども上滑りではない音楽、と言い換えても良い。ピアニストは写真を見ると可愛らしいお嬢さんなのに、ピアノの音は信じられないくらいパワフル。細い体のどこからあんなに強烈な音が出てくるのか……。
悲歌は、ブラームスが友人の死を悼んで作った曲だというが、悲壮さはあまり感じられず合唱の響きには癒しが感じられる。あまりに美しく優しいので夢の世界へ運ばれていったような。(ごめんなさい、寝落ちしました)
一番楽しみにしていた
シンフォニーの4番は、残念ながら自分の好みのタイプの演奏ではなかったけれど、ホルンと中・低弦の奮闘ぶりが素晴らしかった。1楽章は端正で、2楽章はひたすら美しく、3楽章は崩壊の予兆さえ感じさせないスケルツォ、4楽章はあっという間に終わってしまった。
出演された皆様、それぞれに大変な苦労があったと聞いていますが、それらを乗り越えて迎えた本番、大変お疲れ様でした。
と、いったん終わったように見せかけてまだまだ続く感想日記。
今日の演奏会を聞いて、実はブラームスとはあまり相性がよくないのかもしれないと気がついた。相性というより、お互いわかりあえると思っていたのに付き合い始めたら全然ダメだったというカップルみたいな感じ。
これまで、ブラームスは2つの意味で崖っぷちに立つ作曲家だと思っていた。
1つ目は古典~ロマン派の最後の砦として。同じ時代にはワーグナーがおり、近代音楽の胎動が聞こえてくる中、過去の遺産をいかに次の時代につなげるかという立場をとっていた。でも実際には過去の遺物(形式)はどんどん破壊される方向に進んでゆく。その葛藤はいかばかりか、と思っていた。でも今日の安定して重厚な演奏を聞くと、そんな葛藤などなかったのではないかと思えてくる。
2つ目は師匠シューマンの遺産とでもいうべきもので、「理想の世界に手が届きそうで届かない」という絶望を抱えた崖っぷち。特に4番目の交響曲(1楽章冒頭の滑り落ちるような動機、過去の美にすがるような2楽章と未来に絶望しているかのような4楽章など)にそれが現れているのではないかと感じてきたけれど、やはり今日の演奏では堂々とした美しさと熱情のみが見えて、絶望とは無縁の音楽だった。
もしかすると、ブラームスには全然崖っぷちに立っている自覚などなく、後世の人間が勝手に己の感情を反映させただけなのでは?
そう思って交響曲の2番や3番を思い返すと、なぜ「きれいな曲」と思えても惚れ込める曲ではなかったのか、ストンと腑に落ちた。いわゆる「百年の恋が冷める」瞬間を味わったのだった。
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