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びおら弾きの微妙にズレた日々(再)

音楽・アート(たまにアニメ)に関わる由無し事を地層のように積み上げてきたブログです。

   

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ボロディン四重奏団

昨日、子ども達をひきつれて、近くの文化センターで行われた公演に行ってきた。ロシアの老舗カルテットにもかかわらず、大人3000円、学生以下は1000円。 曲目はシューベルトの弦楽四重奏曲「死と乙女」、シューマンの「ピアノ五重奏曲」。どちらも室内楽としてはメジャーな曲。これを格安で生で聴けるんだから、超お買い得コンサート。
ただし、カルテットの最長老、ベルリンスキーは体調不良のため来日できず、若い準メンバーが代わりに入っていた。
ちなみに、ピアノはドイツを中心に活動している原田英代。

ひと口で言えば、「おなかいっぱい」
血の通った音、ぴったり息の合ったアンサンブルを堪能できた。完璧な音程から生まれるハーモニーの美しさにうっとり。
娘も夢中になって聴いていて、音楽が「あっという間に終わっちゃった」と言う。

1曲目の一楽章では、なんとなく音の硬さがあったが(そりゃそうだろう。はるばると気候の違う日本へ来て、その中でも僻地な郊外のホールで、多いとはいえない観客を前に演奏するのだから)三楽章あたりから盛り上がりはじめ、四楽章は熱かった。熱いといっても、燃え盛る炎のような激しさではなく、薪ストーブみたいに、内側からじんわりと熱が広がって気がつくとものすごく熱くなっているという感じ。

それは2曲目になって、ピアノが加わっても同じ。私はあまりピアニストのことに詳しくないし、演奏のどの部分がどうだったとかいう専門的なことも全然わからない。でも、いい具合にカルテットの音色に溶け合っていたのは感じた。弾く姿がとても美しいとも思った。

実は、この公演、パンフレットを売っていない。曲の解説が読みたかったのにつまらないなと思っていたら、なんと、原田氏みずから、演奏の前に曲と作曲者について説明と解説があった。内容がわかりやすかったのはもちろんだけど、人の声で曲の背景を説明してもらうと、こんなに理解しやすいものかと、(本当はパンフを作るお金がなかっただけかもしれないにしても)ちょっと感激した。

その話から抜粋すると、
シューベルトの「死と乙女」は27歳の時の作品で、普通は27歳と聴くと「まだまだ若い」と思うが、彼は31歳で他界しているので、後期の作品になる。まず、それを知って「ほぉー」。
さらに驚いたのは、当時、彼は梅毒に罹患しており、一時的に病状はよくなっていたものの、決して治ったわけではないと自覚していて、死の恐怖におびえつつ「死と乙女」を書いたということ。年こそ若いが、心情的にはまさに人生の晩年だ。
技巧的な面では、第一楽章の主題には、ベートーベンの「運命」の動機が使われていて、シューベルト自身が運命と戦っている様子を表しているのだという。第二楽章は歌曲「死と乙女」の主題を使って変奏曲形式に仕立ててあり、それでこのカルテット曲に「死と乙女」というタイトルがついたという。変奏曲って、どこからどこまでがひとつの変奏なのか、CDで聞くとわかりづらいけれど、生で聞くと、区切りごとに微妙な間ができるし、奏者の表情も変わるのでわかりやすい。
次に出てくるシューマンもそうだけど、シューベルトは非常にベートーベンを尊敬していたので、色々と作曲の技法を真似している。だから、時々ベートーベン臭い節回しというか、音の作り方があるのがよくわかる。
そうそう、四楽章はやはりベートーベンのクロイツェルソナタの終楽章を意識して作られているらしく、そう言われて聞いて見ると雰囲気がそっくり。それにしても、四楽章の冒頭部分はすごいカッコよかったな。

次に話はシューマンに移り、原田氏はシューマンの生涯についてポイントをつまむように説明していった。文学と音楽の両方の才があったが、父の意向で法律の勉強をして、それでも結局は音楽の道に戻ったこと、裁判にまでもちこまれたクララとの結婚のこと、決して楽ではなかった結婚生活のこと、最後に精神病院で息を引き取ったこと。(ライン川に身を投げた話は出てこなかったけど)
このピアノ五重奏曲は、シューマンが最初に錯乱をおこす一ヶ月前に書かれたという。もう少し詳しく書くと、当時大人気のピアニストだったクララは、当時無名だった夫のシューマンとともに、北欧に演奏旅行に出かけた。しかし、そこでトラブルが起きてすっかり気分を害したシューマンはひとりドイツに戻って室内楽の勉強を始め(それまで、彼は主にピアノ曲をかいていた)、その結果生まれたのがこのピアノ五重奏というわけだ。曲の評判は上々で、当時ドイツ音楽を嫌っていたベルリオーズまで絶賛したというから、よほどのもの。
しかし、自ら羽を抜いて織り上げる鶴の千羽織のごとく(←原田氏が使ったこの表現は見事です)シューマンは自分の心身を削って曲を書き上げたため、その後ほどなく精神を病んでしまったのだという。

さて、演奏が始まると、最初の3秒で「ああシューマンだ」とため息をつきたくなった。ピアノを弾く原田氏の姿が、クララにだぶって見えたような気がした。背中から肩、さらに指先にかけての空気がね、クララ・シューマンは、きっとこんな風にピアノを弾いたのではないかと思える雰囲気だったのだ。
聞き所は2楽章かな。葬送行進曲―トリオ―葬送行進曲という3部形式で、穏やかで悲しい響きの葬送行進曲もさることながら、トリオに出てくる天国的な美しいメロディに、これぞシューマン! と思った。人間、あまりつらい状況にいると逃避したくなるもので、シューマンの場合、逃避先はこの世にはない美しい場所だったのだと思う。重く陰鬱な現実世界と、天国的な美しい世界、この対比が出てくるところにシューマンらしさがあるなあと、つくづく思う。

久しぶりに演奏会に出かけた甲斐があったな。
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