少々大げさなタイトルをつけてしまったが、オペラあるいは楽劇というものを完全な演出つきで生の舞台で全幕通して見たのは、今回のびわ湖ホールジークフリートが初体験となった。
本番の3週間前に急に予定が空き、あわててチケットを探したら、3月2日公演A席の入手に成功。これは本当にラッキーだった。
実際に足を運んで見れば、とても良い体験になった。ホールは風光明媚な場所に建っているし(オペラ抜きで普通に街を歩くだけでも楽しそう)、音楽と言葉と歌手と演出がこんなにも一体となってひとつの世界を作り出せるなんて! と、人間が生み出すアートの恐ろしさを体感できたし。こんな経験をしたら、たぶんVR体験なんてなんぼのものじゃ、となりますよ。
ただし、舞台背景には今をときめくプロジェクション・マッピング技術が使われていて、それがかなり効果的だったので、近い将来、オペラもVR世界で体験する芸術になっている可能性はある。もちろん、それはそれで、原作が良くないと世界が生きてこないわけだが。
それでは感想を。印象が多岐にわたるので、項目別でまとめてみたが、やたらに長いのでお時間のあるときにどうぞ。
・演出
技術の進歩というのは、芸術方面にとっても大変ありがたいもので、今回の舞台セットは、先に書いたとおり、流行りのプロジェクション・マッピングを利用したもの。序奏が始まると、真っ白な紗幕に深い森の映像が映し出される。それが徐々にクローズアップされ、洞穴らしきところから煙が見えてくる。第一幕が始まると同時に紗幕は引き上げられるが、舞台の背景にもまったく同じ景色が投影されているため、うっかりしていると紗幕がなくなったのに気づかないぐらい。舞台前方には鍛冶場やテーブルなどがセットされており、やがてミーメがイライラとあるき回りながら、十分に強い剣を鍛えることができないとボヤきはじめる。そこへクマを連れたジークフリートが登場。こうして物語が動きだす。
物語に合わせた背景の変化が見事。ジークフリートが現れれば背景の森は明るくざわめき、さすらい人が登場すれば急激に曇って槍の動きに合わせて稲妻が光る。ミーメが大蛇の幻視をすれば森は暗く不気味に揺れ動く。また、ト書き通りの動きが可能。三幕ラストで、ジークフリートを導く小鳥は、からかうように彼の頭上を旋回することになっているのだが、小鳥の映像が音楽に合わせてくるくる飛び回るさまは、夢でも見ているようだった。実際に大道具や照明を駆使すれば限界があるところを、緻密な映像を用意することで、限りなくワーグナーの意図に近い形の演出ができる。映像の力を借りることにしては賛否両論あるようだが、自分の場合はト書き通りということに安心感を覚えて、物語の世界にすんなり入れた。
さらにト書きにはないが、物語の流れを読むなら当然そうなるでしょう、という演出もあってこれが大変良かった。例えば、三幕のラストで、ジークフリートとブリュンヒルデがついに結ばれるシーンでは、背景の青空が徐々に暮れてゆき、最後には満天の星空となる(二人の愛は夜の世界に属するのですよ)。また、三幕冒頭でさすらい人(ヴォータン)が地底で眠る智の神エルダを無理やり起こすシーンでは、エルダが登場すると同時に嵐が去って夜空に星々が輝き、彼女が沈むと再び雲に覆われる。
その一方、映像の力が強すぎて、リアルに人間が動き回る舞台を観ているにもかかわらず、まるで映画のごとく二次元的に見えることもあったし、全体的に深緑~茶系のトーンで統一されているため、やはり茶系の衣装をまとっている登場人物が背景と同化して見えることもあった。人の動きが地味に見えてしまうのだ。これはやや残念。
・オーケストラ
京響×沼尻先生。さすがプロだけあって、きっちり音を鳴らしてくる。木管が特に素晴らしくて「森のささやき」ではうっとり。弦楽器は超絶難しい箇所はあえてボリュームを控えめにし、管楽器の影に隠れていた(火の輪くぐりのシーンなど)。ある意味正解なのかなあ。
全体的に安全運転で、あっさりした進行だったが、気をつけて聴くと、ドラマに合わせた間のとり方が大変素晴らしいのがわかる。無音の瞬間を十分にとり、登場人物の濃い情念が観客の心の中に十分落とし込まれるよう配慮がなされている。そうやって音楽を積み重ねてゆくうち、三幕に至ると、オケがここぞというシーンで爆発するようになった。安全運転はどこへやら、胸にずっしり響く音圧に飲み込まれた。
ちなみに席は2階後方下手寄り。音はバランスよく届いていて、字幕もギリギリ読めて良い席だ。
下手くそな葦笛を担当するコーラングレは、ちょっと上品すぎてもの足りなかったが、その後に続く例の長いホルンコールは、N響のホルン奏者がゲストで担当し、これはもう超絶上手かった。そりゃクマも大蛇も顔を出すわけだ。
・歌手
いやもう、素晴らしいのなんのって。まず、ジークフリート役のスタミナ&繊細さに感嘆し、青山ヴォータンの「これぞ神々の王」という貫禄に感動し、池田ブリュンヒルデの響き豊かな美声に惚れ惚れした。
ただし、ジークフリートの声とミーメの声が結構似ていて、二人が言い合いしているときはどっちが何を喋っているのか混乱することも。
ファフナーは大蛇の姿でしか登場しないので、歌手は「ファフナー」部屋でモニターを見ながら歌うという、バンダ的なスタイル。声にはあまりエコーを効かせず生に近い感じ(もちろんそれで不足はない)、小鳥の声も柔らかく朗々としていて好感が持てた。(自分の好み的にはもう少し硬質な声が好きだけど)
・あらためてジークフリートの世界を堪能する
自分で演奏しているときは音符を追うことに追われて、歌詞と音楽がどのようにシンクロしているかまで、細かく勉強する余地がなかった。しかし、今回客席でじっくりと音楽とドラマの融合を見て「へぇ、ここはこういう風に噛み合っているのか」とか「この音型の時にはこんなセリフを言ってたんだな」とか、今更ながら新しい発見がたくさん。それに、ノートゥングを鍛え直す鍛冶場の場面や、ブリュンヒルデの眠る岩山目指して火の輪をくぐる場面などは、何度体験しても「ふおぉぉぉ……」とテンションが上がる。
今回、どっぷり歌と音楽と物語に浸かって感じたのは、「このヒーロー、ほんっとに作者に愛されてる!」だった。何をするにもドラマチックで世界が彼のためにあるかのような設定、この世で最高級に美しく強く賢い女性と結ばれるラストなどなど、あげればキリがない。
しかも彼は「恐れを知らない」純粋で無垢な勇者として描かれている一方で、心理描写がとても細やかで人の心の陰りまで丁寧に描き込まれている。たとえば、竜とミーメを斃した後に虚無に襲われるシーン。天涯孤独の自分を知って物悲しくなるシーン。探し求めた花嫁ブリュンヒルデを前にして恐れおののくシーン。ようやく目覚めさせたものの、愛する相手がなかなか自分を見てくれない苛立ちと悲しみ。こうした負の感情は人の世に共通だけども、持ち前の純真さで打ち破って成長してゆくジークフリートの姿は、ただただ眩しい。たとえそれが後々の悲劇を引き立たせるための輝きだとしても。
光のあるところには影があるし、光が強いほど影も濃くなる。ジークフリートが放つ強い光は、地の底から這い上がってきたかのような濃く暗い影を呼び出すことになる。それが次回の「神々の黄昏」。来年の舞台が楽しみ(その前に自分たちが演奏するだなんて、まだ信じられない)。
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