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びおら弾きの微妙にズレた日々

当たりがあればハズレもあるし

たまたま招待券を手に入れたので、電車にゆられて某アマチュアオーケストラのコンサートを聞いてきた。メイン曲がシューマンの交響詩1番「春」だったので楽しみにして出かけたのだが――


プログラムの1曲めはドボルザークの「チェコ組曲」。この曲はドボルザークらしい美しい旋律と色彩感にあふれた素敵な組曲で、なかなか丁寧な演奏がなされていのだが、どうも全体的にのっぺりした印象が気になった。たとえばこれを、かつて長久手フィルでハーリ・ヤーノシュを振って下さったI先生が振ったならどれほどドラマティックで踊れる仕上がりになっただろうかと、つい比べてしまうのだ。

2曲目は申し訳ないことに夢の中。美しい夢を見ました、たぶん。

お待ちかね、シューマンの「春」だが、指揮者が台に乗ったと思ったら、会場の空気が整う前に指揮棒を降り出し、冒頭のファンファーレの出だしがわずかにコケてしまった。その後がよい響きだっただけに残念。
でも一楽章はいい感じだった。弦は豊かに鳴り、びおらは少人数ながらも奮闘して、難所をいくつもクリアしていた。(序奏部から主部への突入に向けて加速する動き、あれはビオラと2ndバイオリンがどれだけ呼吸を合わせながら加速できるかに成否がかかっている)テンポは落ち着き気味ではあったが、ドライブ感を失うほどではなくシューマンらしい音がしていた。
ところが2楽章以降、音楽が失速してしまう。表面的にはテンポのコントロールがうまくいっていなくて、無駄にまったりしている感じ。何より致命的なのは、楽想ごと、フレーズごとの空気感で変わるべきところが変わっていない点だった。例えばおどけたフレーズとシリアスなフレーズ。これをわざと交互に置いて空気の変化を楽しむ仕掛けのところが、どちらのフレーズも同じような空気感で演奏しているために面白さ半減。あるいは疾走間を出すべきところでテンポが淀んでいたり。メリハリが無くて退屈な音楽になっていた。
シューマンの曲は微妙な空気感の変化がキモとなっていて、しかもその移り変わりは、注意深く楽譜を読んで的確に演奏しないと、あるべき道筋が見えてこないと思うんだけど、今回の指揮者はまだ若い方だったし、もしかすると細かい部分を丁寧に聞かせようとするあまり、曲が停滞してしまったのかもしれない。経験不足だったのかなとも思う。


ちなみに管理人の愛聴盤はコレ。バーンスタイン×ウィーンフィル、1984年録音盤。











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