8月16日、宗次ホールで開催された「
スイーツタイム・コンサート〈大人の音楽学校 フォーレとは何者か?〉」を聴講してきた
(ナビゲーター: 松本大輔氏)。「レクイエム」「組曲ペレアスとメリザンド」等で有名なフランスの作曲家、ガブリエル・フォーレの生涯と功績について初期から後期へと順に語りながら関連する曲を紹介してゆく。
もともとフォーレの大ファンなので、前売りチケットを手に入れておいたのだが、大正解だった。当日券はなく文字通り満席。フォーレは比較的マイナーなイメージがあったが、そんなに人気があったのか……。
個人的にはピアノ五重奏曲第2番を生で聴けるのが最大の楽しみだったが、蓋を開けてみれば松本氏の語りが非常に面白かった。幼少期の生い立ち、音楽学校でまわりに可愛がられながら過ごした「才能はあるが野望がない」少年~青年期、失恋の痛手を引きずりまくったあげく、適当に決めたとした言いようのない結婚のエピソード、そして、人生のハイライトでも言うべき「ラヴェル事件」、院長として就任したパリ音楽院のカリキュラム刷新とリストラ人事。フランス音楽界で最重要人物になったものの、年齢とともにひどくなる聴覚障害と深まる作品世界。
「へぇ~」と驚いたエピソードはいくつもあるが、一番興味深かったのは、末っ子の強みとでも言うべき「愛され体質」(フォーレは6人きょうだいの末っ子)。9歳でパリの古典宗教音楽学校に入学してしまった神童タイプの少年だったにもかかわらず、妬みやイジメとは無縁で、教師からも生徒からも可愛がられ、サロンに通うようになればそこでまた人気者になったという。
フォーレの音楽には、深い悲しみを表すものはあれど、魂をひっかくような不快さを持つものはない。初期の曲はとくに優しさ、愛らしさが目立つ。両親を亡くした後に完成した「レクイエム」でさえ、そこに現れるのはひたすら美しい天上の世界であり、生々しい悲嘆や怒りは現れない。それは、作曲者の魂のありかた、あるいは「愛され体質」と関係があるように思う。
常人に比べてややゆっくりと、健やかに成長した魂は、理不尽な出来事に遭遇したとき、きっぱりとそれを正すだけの力を発揮した。それが「ラヴェル事件」とパリ音楽院の粛清(詳細はぜひググってください)。人として非常にかっこいい。ただし、その後の華やかな経歴と激務がたたったのか、次第に難聴に悩まされるようになる。難聴の原因が何であったのか、正確なところはわからないが、ストレスが引き金になるケースはある。
難聴と闘いながらより素晴らしい作品を生み出した作曲家としては、ベートーベンやスメタナが知られているが、フォーレも同じで、むしろ公の仕事から身を引く口実ができ、じっくりと音楽と向き合う時間が生まれたのではないだろうか。自分が一目惚れならぬ一聴惚れした「ピアノ五重奏曲第2番」は耳が聞こえなくなってからの作品だ。ビオラが優遇されていることはもちろん、心を鷲掴みにして話さない冒頭のメロディ、複雑に絡み合い発展する旋律、どれもすとんとツボにはまってしまった。
ただし、どうしても気になるところはあって、音が多すぎるというのか、シューマンではないけれど、音を重ねすぎて肝心のテーマが埋没している嫌いはある。その原因がリアルに音を聴くことができなかったせいだと考えると納得がゆく。頭のなかにある音楽を、外から聞こえる音としてモニターできないために、脳内で聞こえる音を(ある程度整理したとしても)全て譜面に書き込んでしまったのだとしたら、あのような一種の混沌が生まれるのではないか。もちろんこれは推測でしかなく、ピアノ五重奏曲が名作であることには変わりない。
最後に大事なことをひとつ。フォーレの作品には、「夢のあとに」など、有名でありながら楽器初級者でも演奏可能な美しい楽曲がある。初級者から超上級者まで楽しめるフォーレ。ありがたい、ありがたい。
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