びおら弾きの微妙にズレた日々

突き上げた拳の向かう先

公開されたかと思ったら、たちまちあちこちで評判になった映画「ボヘミアン・ラプソディ」。イギリスの伝説的ロックバンド、クィーンのリード・ボーカルである、フレディ・マーキュリーの半生を描いた作品だ。

クィーンをリアルタイムで味わったのが、80年台に若者だった人たち。つまり、自分たちの世代だ。それで、身の回りでやたらに「良かったー!」という声が多い。それだけファンが多いという証拠だが、ひいき目や感傷だけで誉めているわけではなさそうだった。もし駄作だったら違う方向で話題になっているはずだから。ついつい、クィーンのことをあまり知らない自分も「いったいどんだけスゴいバンドなんだ?」と好奇心の虫が騒ぎ出し、映画館へと足を運ぶにいたった。

そして……。いやあ、見てよかった。一人の人間のドラマとして見ごたえがあったし、やはり伝説のバンドだけあって、ふんだんに流れる音楽はカッコいい。名曲が生まれるエピソードやライブシーンは非常に興味をそそる。「この人たち天才」感が溢れているし、本質的に良いものはあらゆる境界を超える。

というわけで、以下ネタバレありの感想となります。あくまでも映画の内容に基づく感想なので、そのへんご了承ください。




1.Family
ドラマとして見たときには、フレディの魂の成長の軌跡が焦点として浮かび上がる。そのキーワードとなるのが「ファミリー」。自分の生まれ育った家を飛び出し、ファミリーネームまで変えてしまったフレディは、クィーンというバンドを新たなファミリーとする。やがて人気上昇と引き換えにいざこざが生じ、フレディがソロ活動に手を出したため、バンドは活動休止状態に。しばらくは奔放の限りを尽くしていたフレディだが、ある日、最も親しい友の諫言を受けて自分を取り戻し、再び古巣(=クィーンという名のファミリー)に戻る決意をした。古巣に戻って最初のライブがあの「ライブ・エイド」という作りになっており、非常に感動的だ。フレディはあのコンサートで、世界中のファンを救い、困っている人々に手を差し伸べ、自分をも救った。
フレディが古巣に帰ろうと心に決めたときのつぶやき、「喧嘩をしない家族なんていない」が心にしみた。異論上等な間柄の、なんと貴重なことだろう。
残念なことに、フレディは「血の繋がりのある」家族にはあまり恵まれなかった。が、音楽という絆でつながったファミリーとファンに恵まれた。それが幸せだったのか不幸だったのかは本人にしかわからない。

2.Queen's Land
イギリス人の使う言葉って、面白いくらい一捻り、あるいは一捻り半ある。クィーンの仲間同士でのやり取りを聞いていると、どうしても「トップギア」の3人が繰り広げるアホでクレバーな会話を思い出してしまう。また、記者会見の様子はビートルズのそれと重なるし。
ひとつ印象的だったのが、「素晴らしい」とか「いい出来だ」を言い表すのに"beautiful"を使っていたこと。彼らの美的感覚に照らし合わせて「美しい」という意味もあっただろうが、"good"とか"excellent"は聞こえてこなかった。"good"はむしろ凡庸さをオブラートで包むための単語なのかも。そして"beautiful"は女性的なものを連想させる。

3. King of performance
舞台の上で放たれる強烈なエネルギーと魅力、それは持って生まれた天性によるところが大きい。パワフルで、時として奇抜な(ex.女装)振る舞いで人目を引きつける。でも、それだけではファンは熱狂しない。客席を巻き込む仕掛けとか、いっしょに歌える曲作りのうまさとか、さらにプラスアルファの要素があってあの熱狂になるのだろうな。
「客席といっしょに音楽を楽しむ」ことの根底には、やはりフレディ、ひいてはクィーンの信念みたいなものがあったように思う。ステージの上から「俺の歌を聞け」をやるのではなく、「みんなで盛り上がろうぜ」をやる。ライブ会場の最後列の最後の一人まで、フレディとつながっていると感じさせることのできる力。
この力の源泉は、映画を見ている限りでは、フレディ父の教えにあるように思えた。フレディ一家のルーツはペルシャ系インド人ということで(だから時々「パキ」=パキスタン人と揶揄される)、宗教的にはゾロアスター教。フレディ父は敬虔な信者で、息子には常に「善き行いをせよ」と諭していた。若い頃のフレディにとっては馬耳東風だった父の言葉だが、実は心の深いところに染み込んでいたのではないかという気がする。フレディにとっての「善き行い」は音楽を通じて人々を熱狂させ、つながりを感じさせ、自分は一人ではないと思わせること。実際それでどれだけのファンが救われただろうか。

フレディが突き上げた拳、あれは「この指とまれ」の「この指」だったのではないかと思っている。