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びおら弾きの微妙にズレた日々

きよしこの夜 サイモンとガーファンクルの場合

クリスマスが近づくと、ラジオでもしきりとクリスマスソングが流れる。いろんな種類のいろんなアレンジの曲が。しかし、この曲をラジオで聴いたのは一度きりだ。それはサイモン&ガーファンクルの「きよしこの夜/7時のニュース」。
 どんな曲かというと、二人がまず、あの絶妙なる美しいハーモニーで"Silent night, holly night,..." という風に、実にオーソドックスな「きよしこの夜」を歌い上げる。
 同時に、その背後でアナウンサーが「7時のニュース」を機関銃のようにまくしたてている。ニュースの内容は、議会での討議の内容、デモ行進、ベトナム反戦運動関連、殺人事件の裁判、あるコメディアンの死などである。実際にあったニュースを切り取って、コラージュのようにつなげてある。
 そして、「……、以上、7時のニュースでした。さようなら」と、架空のニュースが終わると同時に、歌も終わる。そういう曲だ。いや、これはすでにS&Gとアナウンサーのコラボといったほうがいいのかもしれない。

 ところでS&Gは、ほかの曲でも同じような試みをしている。有名な「スカボロー・フェア/詠唱」がよい例である。アート・ガーファンクルが民謡として有名な「スカボローフェア」を美しく歌いつつ、やはりその背後で、ポール・サイモンが、違う歌詞の違うメロディを歌っている。それが「詠唱」だ。
 アートが歌う原曲は、スカボローにいるかつての恋人にあてた歌。ポールが歌うのは、ある戦場の風景を描写したオリジナルの曲。
 この二つは、同時に歌われることによって、メロディだけでなく言葉の意味までもが見事に絡まりあい、不思議なひとつの世界を生み出している。メロディと歌詞が複雑に重なり、新しいメッセージが現れてくるのだ。それは主に反戦なのだけど。

 「きよしこの夜…」ではどんな世界を見ることができるだろろう。というのも、戦争を扱っているけれども昔語りの趣きを持つ「詠唱」とは違って、「7時のニュース」は、実在のニュースを扱うことにより、非常にリアルな存在感をもつからである。

 1つの解釈として、クリスマスが来ても、人の世の営みはいつもと変わりなく残酷で醜悪だということがいえる。「きよしこの夜」は、「7時のニュース」が伝える現実の上に、まるで雪のベールをかぶせるようにふりかかる。これをかりそめの美しさと言わなくて何になるだろう。
 また、逆に解釈してみれば、天のお告げとも受け取れる。せめてクリスマスぐらいは、人生との闘いをひと休みしなさい、というお達し。一晩だけ現実を隠してあげるから美しいものの存在を知りなさい、と。

 話は飛んで、実はオフコースが同じような試みを「I love you」という曲の中でしている。この曲には長い間奏があって、そこには、やはり英語による架空のニュースが組みこまれている。ここまでは、S&Gと大して変わりない。ちょっとアイデアを拝借したのかな、と思う程度。
 ただ、ニュースの最後でジョン・レノンの死亡を伝えているし、ニュースと対峙する曲が、「きよしこの夜」のように普遍的なものでなく、非常に個人的な思いの詰まったラブソングだから、やはり曲の意図するところは違ってくると思う。
 誰かが愛の告白をしているその瞬間にも、ビッグスターがこの世を去り、世界は変化しつづけている。逆にいえば、大切な人が亡くなって悲嘆にくれているその間にも、世の中は動き続け、愛の歌が流れていたりする。何もかも流れて変化する中で、自分にとって唯一変わらぬ物=特定の相手に対する愛情なんだと、そんな風に受け取れる。

 「きよしこの夜…」は、いったいどうなんだろう。何度聞いてもS&Gは淡々と歌うだけで、明確なメッセージを伝えようとしていない気がする。むしろ、それこそが狙いなんだろうか。つまり、「僕らは事実を提供しているだけですよ」ということで、解釈はすべて聞き手にゆだねられていると。
 だとすれば、どう受け止めるかによって、その人の置かれている立場や考えが露呈する。美しさを求める者には美による安らぎを、シニカルな心の持ち主には歪んだ世の中を、というわけである。
 
 シンプルな歌ほど、こわいなあ。
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