昨日は地元の神社の秋祭り。町内に一つまたは一組の子ども獅子が出て、午前中は町内をめぐり、午後からは神社に集結してお祓いを受ける。
お祓いのあとに奉神会の代表者による挨拶があって、子供たちに呼びかける口調で獅子の役割を説明してくれた。「恐い顔の獅子が町中をめぐったので、町内からは悪い神様や悪霊が逃げて行ってしまいました。これで明日からはまた安心して元気に過ごせます」と。
ああ、なるほど! と十年以上も子ども獅子に付き添っていながら、初めてその意味を知った。(あ、でも昨年も同じような話を聞いたかも……やばいなぁ)
年に一度、獅子頭で町内の邪気を祓い、その獅子頭は神社で清めてもらうというわけだ。で、そういうありがたい獅子舞なので、町内の人々は獅子が家の前を通りかかるとご祝儀を出す。ああ、納得。
ちなみにご祝儀の一部は子どもたちにも分配されて、貴重なお小遣いとなる。残りは町内会費の足しに。
獅子舞のついでに、江戸時代の装束に身を固めた鉄砲隊による火縄銃の実演があったり、飾り馬が出たり、棒の手の演武があったり、神社の中では巫女が舞っていたり。
祭りというのは、タイムカプセルみたいなものだなと思う。ただし、それぞれ役割を引き受ける人がいてこそ機能するという、マンパワーが頼りのタイムカプセルなので、後継者が途切れたら終ってしまう。今も巫女舞を引き受けてくれる小学生の女の子がいなくて、かなりのピンチなのだ。物理的に女の子がいないわけではなくて、忙しいとか大変そうとかいう理由で親が嫌がるっぽい。(ま、実際に大変だったけど←かつて娘も舞った)