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びおら弾きの微妙にズレた日々(再)

音楽・アート(たまにアニメ)に関わる由無し事を地層のように積み上げてきたブログです。

   

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モーツァルトは本当に効くのか

先日、音楽療法の話題を読んで、ひょっしたら本当に効果あるのかも。と思ったモーツァルト

自分の場合は、何らかの効果を期待するというより、音楽そのものに興味があって聴くので、モーツァルトで頭の回転がよくなったとか、リラックスできたとかはあまり感じたことがない。

ところが、昨日のこと。
娘が、計算の宿題をひろげながら生意気にも「なにか音楽かけて。その方がはかどるから」と言う。
さすがに「はげ山の一夜」を流すわけにもいかないので、無難なところでモーツァルトのシンフォニーが登場した。
すると、本当に早く片づいたのである。
調子に乗って今日も同じ曲を鳴らしてやると、やはりスムーズに計算が進んだ。うーむ。
自己暗示を差し引いたとしても、多少の効果はあるのか。
私が物語を書くときには、音楽はかえって邪魔になるので、なるべく鳴らさないようにしているのに。

でもよーく昔を思い出してみると、自分も数学の宿題を片付ける時には、よくオフコースのカセットを鳴らしていたなぁ。(照)
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田園にいる夢の続き

今朝、息子を幼稚園へ送ったついでに、買い物をしようとスーパーに寄った。が、まだ開店時間前で、20分の暇。
何をしようか考えるまでもなく、車のカセットデッキに田園を放り込んで聴く。エンジンを止めているし、一種の密室状態なので、なかなか快適に聴ける(寒さを忘れれば)

窓の外をのんびり眺めながら田園の2楽章を聴いていると、風景のBGMとして最高。
ええ、まさに「田園」で暮らしてますから。(苦笑)

それで思ったのが、やっぱり2楽章ってオール伴奏なのか? ということ。
先日の記事(1月20日)で書いたとおり、2楽章には、目立つ主旋律がない瞬間が何度もある。木管とバイオリンは合いの手、中~低弦はひたすらアルペジオ、という場面だ。

風景を見ながら、何となくピンときた。
そうか、これは田舎田園の風景を眺めている人が主役で、楽器はあくまで伴奏なんだ。ということが。
のどかな風景を彷彿とさせるモチーフをちりばめることによって、聴き手がまるで本当に自然の風に吹かれているような心地にさせる仕組みじゃないのかと。
木管群は鳥の鳴き声で、弦楽器は風や木々のそよぐ音。主役は聴き手本人だ。
最後のダメ押しがラスト10小節あまりの、カッコウやナイチンゲールの鳴き声。(スコアを見ると、その部分には本当に鳥の名前が書き込まれている)

この曲が運命と同時期に書かれたなんて信じられない。

そうか、そうだったのか

あるクラシックMIDIサイトを訪れ、そこで 「END GAMES」すなわち作曲家の最後の作品を集めたコーナーを見つけた。
→http://www02.so-net.ne.jp/~hedonism/MIDI/

「最後の作品」というくくり方が好きだし、そこそこの知識もあったものだから面白くてついはまりこんだ。

例えば、ショスタコの最後の曲・ビオラソナタにこめられた怨念だとか、マーラーの10番の終楽章のテーマについてとか、興味深い記事がいろいろ。

マーラーのエピソードがいちばん心にしみた。
マーラーの6番目の交響曲は「悲劇的」というサブタイトルが示す通り、全体を通じて陰鬱な絶望の空気に支配されているが、その中で一楽章の第二主題だけが明るいという。(←まだ自分の耳で確かめていないので伝聞形)
作曲家本人によると、この第二主題は妻・アルマを表しているのだそうだ。さらにこの第二主題は、完成しきれなかった第十交響曲の最終楽章にも美しい形で姿を現す。

奥さんに惚れぬいた作曲家としてはシューマンが有名どころだが、マーラーもそうだったんだなと。
(もっとも、クララは夫の死後再婚はせず、アルマは2度再婚しているあたりが何とも…… 妻を愛することと、妻を満足させることは別問題だ(^^ゞ)

これまで十番は、本人の手で完成された第一楽章のみしか聴いたことがなかったし、聴く気になれなかったのだが、近々全楽章を通して聴いてみたいと思う。音源は手元にある。
でも、マラ十は第一楽章ですでに彼岸の世界を具現しちゃってるからな。最後まできいたら現世に戻って来れなくなりそうだ。

日本語? ENGLISH?

最近、クラシックを聞き込んでばかりいるせいか、やたらとポップスが聴きたくなる。Jポップはあまり好きじゃないので、出かけるときは車のラジオを radio-i に合わせ、海外の、しかも欧米系の曲ばかり聴く。

英語の歌はリズムがいい。言葉のリズムと曲のリズムがぴったり合っている曲が多いから、聞いていて気持ちいい。
そこへ行くと、日本語は、英語と違ってリズムではなくイントネーションで意味を理解する言語だから、せっかくノリのいいメロディを作っても、歌詞をつけると平板になってしまう気がする。
無理にリズムを優先されると意味がわからなくなるし。(サ☆ンとか佐野☆春とか/笑)
そのかわり、昔の童謡なんかをあたらめて聞いてみると、驚くほど言葉が美しく響いているのがある。もともと、日本の古来の歌ってゆったりしたリズムが多いような。
言語によって向き不向きってあるんだな。

まだ続くか、ポピラ

スーパーハードのレベルにこぎつけ、「運命」その他に翻弄されること約十日間。
娘がついにすべての曲をクリアした。
ああ、これで全ステージクリアだね、と喜ぼうとしたら彼女の悲鳴(たぶん嬉しがっている)が。

アルティメットハードが出たよー!」

そんなレベルがあるのか。
説明書のどこにもかいてないぞ。

曲目は一曲のみ。「ポピラメドレー」
スタートさせると、鉛色のボールが雨あられのごとく降ってくる。それも無秩序ではなく、いちおうリズムに合わせて。

まだ誰もクリアしてない。

これが制覇された暁には何がおこるのやら。
「シュープリームハード」とか出たら笑うぞ。

今月のつぶやき

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