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びおら弾きの微妙にズレた日々(再)

音楽・アート(たまにアニメ)に関わる由無し事を地層のように積み上げてきたブログです。

   
カテゴリー「音楽の話」の記事一覧

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シベリウスは冬

少々気が早いが、次の定演で演奏するシベリウスの交響曲第2番を聞いてみた。
学生のころに買ったアシュケナージ指揮のCDがあったので、ほこりを払って引っ張り出す。

懐かしい。

それ以上にスケールの大きさに圧倒された。

この曲を聴いていると、まるで絵やフィルムを見ているような気分になる。
大雪原の中をとぼとぼ歩く人の影とか、雄大な山々とどこまでも青い湖とか、そんな景色が見えるような気がする。
あるいは、火のそばで暖を取りながら昔話に耳を傾ける子どもの姿。

シベリウスは、北欧神話や伝説をモチーフに沢山の曲を書いているので、もしかすると子どものころから、数々の伝説を聞いては想像を膨らましていたのではないだろうか。
暗く長い冬が毎年訪れる北の地方では、家に閉じ込められる冬の間は、物語をつむぎ出す格好の時期だったらしい。逆にそうでもしないと、精神的にもたないそうだ。

ということで、シベリウスの曲には独特の世界があって、それが魅力的でもあり、演奏するときには非常に難しく感じるところでもある。
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これはびよらかちぇろか?

ブログをめぐっていて、こんな楽器を発見。→

実はこれがバッハの時代のviolincelloだったかもしれないという……。
私にはむしろ弓で引くギターに見えます。だって、ストラップで首から吊ってるんだもん。

アルペジョーネソナタにはまる?

いきつけのレンタルビデオ屋には、レンタルCDコーナーも併設されている。
息子のためにビデオを借りたついでに、クラシックCDの棚を物色。
本当はチャイコの4番があればと思っていたが、あいにく出払っているようで、代わりにアルペジョーネソナタを発見。ミッシャ・マイスキーのチェロ版。伴奏はマルタ・アルゲリッチ。

この曲は、「アルペジョーネ」という、弓で弾くギターみたいな楽器のために書かれたもの。
調弦はギターと同じでフレットもついていた。それをひざではさんで弓で弾く。優しい音で、重音を出しやすい一方で、音量の変化にとぼしいのが難点だったといわれている。
アルペジョーネという楽器そのものは開発されてすぐに忘れ去られてしまったが、シューベルトの作曲によるこの曲だけが後世に残り、今ではビオラまたはチェロで演奏されることが多い。

で、私の手元には、今井信子のビオラ版と、ロストロポーヴィッチのチェロ版がある。どちらも気に入っているので、これ以上求めなくてもいいのだが、そこはマニア心がうずき、また、カップリングがシューマンの小品集だということもあって、借りてきてしまった。

うーん、曲の作り方はビオラ版に近いなー。ピアノの伴奏がとても優しくて繊細で素敵。
こうして聞き比べて見ると、アルペジョーネばかり何種類も取り揃えて、微妙な違いを聞き分けたいという欲求が湧いてくる。だからマニアは恐い。

風にもモーツァルト?

昨日の昼過ぎから、なんとなくのどが痛いなーと思っていたらいたら、あれよあれよという間に痛みが増して、すっかり腫れてしまい、悪寒までしてきた。風邪だ~。
今日は一日ぐうたらを決め込んで、本を読んだりパソコンで物書きしていたり(実はいつもとあまり変わらない生活)していて、ふと音楽が聴きたくなった。

体調が良くないときに、大音量のシンフォニーもなんだかなーと思い、手を伸ばしたのがモーツァルトだった。
ある程度規則的なリズムが刻まれていて、不協和音が少なくて、ppからいきなりffへ音量が飛んだりしないものを、と考えた結果だ。
あちこちで、モーツァルトを聞くと頭がよくなるとかリラックスできるとか、まるで健康食品のごとく宣伝されているものだから、かえって普段は敬遠してしまうのだが、今日は素直に聴いて見る気になった。

以前どこかで読んだけど(たぶん小林秀雄の「モーツァルト」)、この天才作曲家は言葉の代わりに音で自分の感情をつづったらしい。言葉で「楽しい」と書く代わりに、楽しいフレーズを書く。
だから、音の流れを、普段会話するときに感じる感情の流れに置き換えて見ると、あら不思議、曲の雰囲気がすごくリアルに感じられる。
すごく卑近な例だけど、スーパーでばったり出会った幼稚園ママ同士の会話をイメージさせる楽章もあったりして、(例えば29番の2楽章) それはそれで結構面白い。
そして一度曲の流れに乗れたら、あとは何も考えずにモーツァルトの描く世界を楽しむ。

うん、風邪は治らないかもしれないけど、頭の中は癒されるな。

耳虫パート2

以前、このブログで「耳虫」なるものについて書いた。
あれから我が家では「耳虫」という言葉が定着して、最近では娘が「ソーラン節が耳虫になって困る」と言う。運動会で踊る曲だ。さもありなん。

自分の場合では、最近ちょっと意外に思った耳虫がある。
シューベルトのアルペジョーネソナタ。
万博が終わった翌日、閉幕の様子を流すテレビを見ながら、あるいは前日までのにぎやかな会場を思いながら、頭の中ではずっとアルペジョーネの1楽章が鳴りつづけていた。
この曲、確かに物寂しげな雰囲気があるものの、何かの終幕を表現したような曲ではない。
なのに、自動的に頭の中を繰り返し流れるのだ。

思い当たる理由が一つある。
この曲を集中的に聴いていた時期と、自分の中で何かが終わった時期が重なっていたという可能性だ。
たとえば、悲しい出来事があったときにある曲(どんな曲想でもよい)を頻繁に聞いたとする。すると、次に悲しい出来事があったときに、やはりその曲が頭の中に聞こえてくるのではないか、つまりパブロフの犬みたいなものである。

何かが終わった時期ねぇ。

……。

うーん、まだ痛くて文字に乗せることができないかも。

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