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びおら弾きの微妙にズレた日々(再)

音楽・アート(たまにアニメ)に関わる由無し事を地層のように積み上げてきたブログです。

   
カテゴリー「音楽の話」の記事一覧

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悲恋歌(エレジー)

日常の雑事をすませて、やっと落ち着けるこの時間、ひっそりとビオラの奏でるエレジーに耳を傾ける。

Kim Kashkashian のビオラによるエレジー集。
ブリテンや、グラズノフなど、主に近現代の作曲家による小品が納められている。
曲と同じくらい気に入っているのがジャケットデザイン。
白いキャンバスの真ん中に、上から下へと雨だれのように流れる傷がひとすじ。
それだけ。
でも、恋の傷ってまさにこんなイメージ。
ここのライフログに載せようとしたら、悲しいかな、画像データがなかった。

甘すぎないビオラの音は、失った恋を歌うのにぴったり。
人の声に近い音で流れるメロディは、言葉を持たない歌のようで、すっと心に寄り添う感じがする。

そういえば、このCDは遙か昔に、誕生日のプレゼントとしてもらったものだった。
あまり関係ないけど、クリムトの「接吻」の1000ピースパズルも、やはり誕生日にもらったことがある。
これには後で変なエピソードがくっつくのだけど、それはいつかまた。
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音楽療法?

先日、娘が足の骨を折って、ずっと家のリビングで寝ている。
折った当初はひどく痛がるので、気晴らしに、といろいろ音楽をかけてみた。
結局わかったのは、テレビにはかなわないということ。
彼女にはまだクラシックの良さが分からないのね。
今もびよらのCDをかけていたら、「リモコン取って」と来た。
せっかく手に入れた新しいCDなのにゆっくり聴けるのはいつのことやら。

そうだ、生びよらをまだ聴かせてない!
(よけいに具合が悪くなるからやめなさい)

バイク乗りの人間国宝

たまたま「ソロモンの王宮」の再放送を見ていて、非常に興味深い内容に出会った。
能楽囃子、大鼓(おおつづみ)の奏者である大倉正之助のドキュメントだった。


音楽の源をたどってゆくと打楽器にたどりつく。

真冬の海辺で演奏された音、樹齢二千年を超す神木の前で演奏された音。
自然と響き合うために奏でられた音とは、これがそうなのかと感じ入った。

太鼓の音は神に近く、弦楽器の音は人間寄りなんだと思い知った次第。

神に近い音と言えば笛もそうだ。
「石笛(いわぶえ)」というのがあって、それは様々な要因で自然に穴の開いた石を楽器として使う。石笛の音は神を呼ぶと言われていて、みだりに奏でることはできないという。
こちらに詳しい紹介あり→

うーん、本当に大切なことは言葉で伝えられないなあ。

バッハの場合

少しベートーベンを離れて、バッハのことなど。

といっても、バッハには全然詳しくない。 猫も杓子も知っている「G線上のアリア」とか「トッカータとフーガ」とかプランデンブルグ協奏曲ぐらいならわかる、その程度。
あ、もう一つ。無伴奏チェロ組曲。これはビオラ版の楽譜を持っていて、気が向くと一番のプレリュードやメヌエット、ジーグなどをさらうことがある。
もちろんへっぽこなので、とても他人様には聞かせられない。自己満足にも至っていないレベルだ。

それでもロマン派の作曲家と比べると、大きな違いがあることに気がつく。
バッハは弾き手にとって楽しい曲を書き、それ以降の作曲家は聴き手にどう受け容れられるかを意識した曲を作っているということ。
弾き手のための、という意味ではバッハ以前の曲(主としてバロック)はほとんどがそうではないかと思われる。というのも、当時は作曲者と演奏者が同一であるか、非常に近い立場だったからだ。つまり、ある楽器の名手がいて、新しい曲が弾きたければ自分で書いてしまうか、知り合いに頼むかという、そんな世界。

なので、何気なくバロックの曲を聴いていると、案外退屈してしまうが、(たとえ、そんな腕前がないにしても)自分がそれを演奏することを前提に聴くと、ものすごく面白くなる。
逆に近現代の曲は聴くととても面白いのに、演奏すると難しいばかりでつまらない……という事態が時おり発生する。(びおらは特にそうだ。ワーグナーにはいろいろ泣かされ……ごほごほ)

話がずれてしまった。
バッハの曲を弾いていて何を感じるか、というのが言いたかったのだ。
無伴奏チェロ組曲を弾いていると、フレーズの取り方が自由奔放なのに驚く。○拍子とか、強拍・弱拍という枠から外れて、自由にフレーズが展開する。例えは悪いが、気分良く鼻歌を歌っているようなノリなのだ。もちろん旋律はあくまでも格調高く。
作曲者の心の動きがそのままフレーズとして現れているのだと思う。
そのフレーズからにじみ出てくるのは、音のひびきの向こうに、神の世界を見ようするバッハの姿。
普通の人間が言葉を使って祈りを捧げるなら、バッハは音楽を使って祈っているのだ。
メロディというハシゴを何とかして天上世界まで届かせようとしている――そんなイメージがわいて仕方がない。
でも、実際は音を紡ぐのがひたすら楽しくて、この曲を書いていただけかもしれない。

とりあえず自分は、次から次へと現れ出るメロディが楽しくて、下手なりに挑戦している。

耳虫その後(メタモルフォーゼン)

耳虫退治をすべく、R.シュトラウスのメタモルフォーゼンをたっぷり聴く。
好きな曲なので、バージョンはとりあえず3つある。

1.カラヤン-ベルリンフィル(1969年)
2.カラヤン-ベルリンフィル(1980年)
3.プレヴィン-ウィーンフィル(1986年)
(あと、シノーポリのも聴いてみたいような恐いような…)

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