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びおら弾きの微妙にズレた日々(再)

音楽・アート(たまにアニメ)に関わる由無し事を地層のように積み上げてきたブログです。

   
カテゴリー「音楽の話」の記事一覧

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11月の曲なのに蝉の声がよく似合う

現代曲ついでに、武満徹「ノウ゜ェンバーステップス」の感想を。

これを最初に聞いたのは、8月の暑いさなかだった。静まりかえっているはずの部屋でCDを鳴らした。
管弦楽による演奏の部分を過ぎて、尺八と琵琶の二重奏の部分に入る。ところが、そこにアブラゼミの声が加わって、3重奏に聞こえるのだ。まるで違和感がないことに驚いた。それどころか「閑さや岩に染みいる蝉の声」の世界が立ち上る。
半分キツネにつままれたような気持ちで、あとの半分は心底凄い音楽だと思った。

次に聞いたのは9月。もう蝉の声はない。
すると、先日聞いたのと同じ箇所が、まるで違う印象で聞こえた。今度は寒々とした11月の景色が見える。
これで本当にノヴェンバーステップス、11月の梯子だ。
8月に見えたのは何だったんだろう。

ところで作曲者いわく、西洋音楽は横に流れ、日本の音楽は縦に動くという。両者を無理に融合させようとしても駄目で、むしろ対立させた方が互いに引き立つらしい。
そこではっと気が付いた。
だから日本の弦楽器は、琵琶だの三味線だの琴だの、はじくタイプばかりで、胡弓みたいに弓でこすって音を出すタイプはないのか。(←一人で勝手に納得)
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アコーディオンとビオラ

気が付くと、前の書き込みから一ヶ月以上空いている。その間何も話題がなかったわけではないが、現世の出来事にかまけて、うっかりご無沙汰。

少し前、面白いCDを手に入れた。→

ビオラとアコーディオンのデュオだ。意外な組み合わせだが、決してなじまないわけではない。
むしろ伴奏系同士、よく似た雰囲気を持つのではないかと思う。

このデュオが取り上げているのは、主に日本人が作曲した現代曲。「ビオラのために」ということで、渋めの響きが出るようになっている。
メロディらしいメロディはなく、かといって耳障りな音でもなく、音の重なりや音色のバリエーションを聴かせる曲が多い。
こういう曲を聴いていると、現代美術を見ている時と同じような感覚がしてくる。

ビオラが渋い音色だというのは当然として、アコーディオンの音色の良さも発見した。
アコーディオンは鍵盤楽器のように見えて、実は空気でリードを鳴らす楽器(オルガンもそうだけど)だから、よく聞いてみると、笙(しょう)とか、バグパイプに近い音がする。 ちょっとひなびた音色を出す仲間だ。 この楽器で現代曲をやると、新鮮ですごくいい感じ。

カーラジオでドボ8と出合った話

8月3日のこと、朝、銀行へ行くために車を走らせていたら、ドボルザークの交響曲8番が聞こえてきた。
始めに3楽章のしっぽがちらりと聞こえてきた時点で「もしかして…」と思い、4楽章出だしのファンファーレで確定した。
この曲は、学生オケを卒団後、はじめてOBとしてエキストラに呼ばれた時に弾いた曲だった。
この時にビオラトップをやっていたのが相当に面白い子で、3楽章の最後にリズムと音の変わり目が微妙にややこしいところがあるのだが、そこに歌詞をつけて歌えるようにしてくれた。
どんな歌詞かというと…
「しろやぎさんからおてがみついたくろやぎさんたらよまずにたべた」
一度見たら忘れませんとも。

そんな他愛もないことを思い出しつつ、また、当時ファンファーレを吹いたトランペットの子は今頃どうしているんだろうとか、4楽章に聞き入っていたら驚いた。
中間部が泥臭くない! 少なくとも日本のまつり囃子調ではない。
どんどんひゃらら、と浮かれた雰囲気ではなく、ちょっと遅めのテンポでどっしりと進めている。
すると、新鮮な印象を受けるのだ。それまで西洋音楽のしきたりにのっとって進んできた曲の中に、東欧の民俗音楽が混じる。一歩間違えれば泥臭くなるところがエキゾチックな雰囲気に仕上がっている。そのモチーフがひとしきり展開されたあと、無理なく冒頭のテーマへと戻っていくあたり、この作曲家すごい、と思わされた。

ドボルザークは今でこそ交響曲の9番や8番が有名になって、交響曲に民俗音楽を取り入れた作曲家として有名だけど、もともとはそんなに泥臭い曲を書く人ではなかったようだ。
初期の4番などは、すごく透明感があって、「え、これがドボルザーク?」と驚くほどなのだ。
恐らく、彼はそれまでの西洋音楽に飽き足らなくなって、新しい刺激として民俗音楽を自分の曲に組み込む方向に進んだのではないか、そう考えると、いっそう9番や8番のシンフォニーが面白くなる。

ちょっと味見

といっても、よそのアマオケの様子伺い。

今日、地元のSオケと上海交響楽団のジョイントコンサートがあり、娘のピアノの先生からチケットを買って聞きに行った。
娘にとっては、クラシックのコンサートは初めて、自分にとってはS市民オーケストラを聴くのが初めて。
曲目はマイスタージンガー、春江花月夜(中国古曲)、ヴィヴァルディ・四季、第九より4楽章。
子どもが初めてオケを聞くなら、まあ良いプログラムかと思った。

でもコンサートが終わると、娘はぐったり疲れていた。一度にたくさん聞き過ぎたかもしれない。
自分の感想は、これで3000円は高い、1000円なら可、というところか。
上海交響楽団はプロオケで、そこから10人がこのコンサートのために出演。10人でも一応ジョイントコンサートと言えなくもないし、上海オケのメンバーのみによる演奏は良かったが、それ以外のではやはりアマオケの音だった。

S市民オケの音は悪くないと思う。特に弦楽器はよい響きを出していたが、管楽器か精彩を欠いているような気がした。これはひょっとしてホールのせいかもしれない。座席は自由席だったので、二階席のど真ん中に座った。比較的バランス良く聞こえる場所のはずなのだが。
で、じっくりオケの様子を観察してみたが、あんまりいっしょに弾きたいとは思えなかったな。一番通いやすいオケだけに残念。

古きよきファンタジア

なんでいきなりファンタジア(ディズニーの、2000年版でない古い方)かというと、この作品の中で「田園」がまるまる一曲アニメ化されているからだ。

舞台はギリシャ神話の世界。半神半獣の若きケンタウルスたちが、連れ合いを見いだすべくパーティに繰り出すところ。のどかで美しいオリンピアの世界、葡萄酒とともにバッカスとパンが登場し、空の上では、気まぐれを起こしたゼウスが雷をもてあそんだかと思うと、再び午睡に戻る。最後はひと組のケンタウルスたちが結ばれてめでたし、めでたしで終わる。

これだけの話が、田園という曲にのって繰り広げられる。カット編集なし、もちろん台詞もなし、そしてまるっと40分近くにわたり、映像と音楽のみで物語が繰り広げられる。
これはすごいと思った。もともと曲もすばらしいのだが、それに正面から張り合うディズニーの気概に恐れ入った。

ほかにも、バッハ「トッカータとフーガ」、デュカス「魔法使いの弟子」(←魔法使いの弟子に扮したミッキーの姿は有名すぎるほど)、チャイコフスキー「くるみ割り人形」、ポンキェッリ「時の踊り」、ストラヴィンスキー「春の祭典」、ムソルグスキー「はげ山の一夜」、シューベルトの「アヴェマリア」があって、どれも見事に音楽と映像が合っているなあと感心して見ていた。

アニメ技術のすばらしさは言うもでもない。手書きセルの時代に、どうやって水の透明感や優雅な金魚の動きを出したのか。かの漫画の神様が憧れて止まなかったというのもわかる気がする。

1940年に発表されたこの作品は、当時かなり衝撃的だったらしい。新しもの好きなうちの父も、その存在を知るとさっそくサントラを買いに行ったようだ。(実際に映像を見たかどうかはわからない) 証拠品として、実家にはFANTASIAのLPがある。

それから○十年たち、行きつけのビデオレンタル店に入った私は、安売りワゴンの中にファンタジアを見つけた。980円だった。
さっそく買って帰り、まだ3才だった娘に何度も見せたものである。

今月のつぶやき

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