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びおら弾きの微妙にズレた日々(再)

音楽・アート(たまにアニメ)に関わる由無し事を地層のように積み上げてきたブログです。

   
カテゴリー「音楽の話」の記事一覧

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今回も打楽器センターはやってくれました

昨日は長久手フィルハーモニー第19回定期演奏会@文化の家森のホールにお邪魔してきた。

今回のプログラムは…

ボロディン 歌劇「イーゴリ公」序曲
コダーイ 組曲「ハーリ・ヤーノシュ」
ドボルザーク 交響曲第7番

指揮 今村能

できてから13年のアマチュアオケで、毎年じわじわと力をつけてきているのがわかる。
今回も色々楽しませていだいた。
対向配置だとか、ひな壇最後列に陣取った打楽器センターだとか。何より目立ったのは「ハーリ・ヤーノシュ」で登場したツィンバロン。
(ツィンバロンって?→)



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「幻の楽器 ヴィオラ・アルタ物語」

いちおう読書記録ですが、なにしろテーマがヴィオラ族の楽器なので、迷うヒマもなくこちらのブログに載せます。
あるヴィオラ奏者が幻の楽器、ヴィオラ・アルタと出会い、そのルーツを求めてヨーロッパを旅する話。ワーグナーに気に入られたというその楽器は近代の発明品であるにもかかわらず、非常に資料が少ないのだが、良い出会いと必然とでもいうべき偶然に支えられ、秘密のベールが少しずつはがされてゆく。

確かに「ヴィオラ・アルタ」という楽器は非常に認知度が低い。以前ヴィオラ族の楽器について調べたことがあるが、ヴィオラ・ダ・ガンバやヴィオラ・ダモーレに遭遇しても、アルタの名は見たことがなかった。

ヴィオラ・アルタとは何者か。一言で言えば音を五度下げたバイオリンである。それなら現在のびよらと同じじゃないかという話になるが、実はかなり違う。というのも、バイオリンはAの音が一番よく響くように設計されており、その寸法はすべて決まっている。もしヴィオラで同じ事をすると、つまり五度下げた音程でよく響くように設計すると、サイズはバイオリンの1.5倍になってしまい、肩で支えて弾くには無理な大きさになってしまう。それゆえ、ヴィオラは音の響きを少々犠牲にしてあるべきサイズよりも小さく造られているし、試行錯誤があるのか、作り手によってサイズがまちまちだ。(だから人のビオラはすぐには弾きこなせない) そしてこのサイズの半端さが、ヴィオラ独特の鬱屈した音色を生み出す。

ヴィオラ・アルタというのは、文字通りバイオリンをそのまま大きくした上でC線(バイオリンの最低音、Gより五度低い)を付け足した楽器だ。ドイツの音楽学者、ヘルマン・リッター氏が美しい響きを追求し、すみずみまで計算しつくして作り上げた。指板+糸倉+渦巻きの長さはきっかり43.51センチ、裏板の長さが47センチ。ちなみに普通のヴィオラは裏板の長さが40センチ前後で、バイオリンは35.5センチだからほんとにでかい。さすがにバイオリンの1.5倍とはまでいかないが、響きの美しさを十分に活かすためのバランスで作られている。
常識はずれな大きさで取り回しが大変な反面、著者の平野氏によれば、その音色は非常にクリアで外に広がる音だなのという。ヴィオラ特有のこもったような音色ではなく、パイプオルガンに似た純粋でベルカントな響きがするそうだ。だからこれはヴィオラの改良版と言うよりは、すでに別物の楽器だ。

この垢抜けた音色はワーグナーを喜ばせ、ワーグナーの影響下にあった他の作曲家たちの創作意欲も刺激した。例えば、現在ではヴィオラ用のソロ曲として有名なリストの「忘れられたロマンス」。これはもともとヴィオラ・アルタを発明したリッター教授に献呈された曲だし、また、リヒャルト・シュトラウスの「エレクトラ」の第一ヴィオラのパートでは、通常のビオラでは出せない高音が頻出し、結果、バイオリンとヴィオラを持ち替えながら弾くという、あり得ない事態が起きているが、これはヴィオラ・アルタで弾くことを前提として作られたためらしい。

ではなぜ一世を風靡したかに見えるヴィオラ・アルタが今ではすっかり忘れ去られてしまったのか。

誘われてフランス音楽

年度が変わり、忙しいことが重なってキリキリ舞いしている中、そういう時こそ息抜きの時間は必要かもれしない、と思ってコンサートに出かけてみた。場所は豊田市コンサートホール。そう、数年前にユーリ・バシュメットの日本公演を聞くため、雪の中を頑張って出かけたホール。

豊田市を中心に活動しているセンチュリー室内管弦楽団というアマチュアオケがあり、そこの定期演奏会にお邪魔してきた。今回はプログラムが好みでねぇ。ぜ~んぶフランスもの。

ラヴェル 管弦楽組曲「クープランの墓」
サン=サーンス 交響曲第二番
プーランク シンフォニエッタ

アンコール ドビュッシー 小組曲より「小舟にて」


目からウロコだらけ

つい最近知ったのだが、ベルリン・フィルは「デジタルコンサートホール」というものを持っている。ネット上で過去の演奏会やインタビュー、ドキュメント映画、そして演奏会のライブが見られるサイトのことなんだけども。一部無料映像もあるが、ほとんどの演奏映像は利用料を払って見るもの。

先週のこと、Facebook経由で一週間分の無料クーポンを入手した。ものは試しと思い、サイモン・ラトルの振るブラ4の演奏を見た。ちょっと様子を見て終わるつもりだったのに、ボウイングの技術に見とれ、奏者の真剣な表情から目が離せなくなり、気がついたら4楽章のフィナーレだった。
次はモーツァルトのピアノ協27番。繊細すぎる陰影の付け方や、まるで友人同士が語らっているかのように親密さあふれる音のやりとりにため息をつきながら、やはり最後まで聞いてしまう。他にも色んな曲を試し聞き。その時間はいちいち贅沢。

とにかく伊達に世界最高峰のオケじゃないんだと、有無をいわさず実感させられた。

「シューベルト」

演奏会パンフレットの曲目解説を頼まれまして。
お題はシュベルトの「未完成」なのですが、資料として伝記に目を通したらそれがとても優れた評伝で感激した次第であります。


シューベルトについて、彼の音楽性を当時の社会情勢と絡めながら詳細に分析した伝記本。彼が生涯のほとんどを過ごした当時のウィーンの様子も詳しく描かれており、音楽家は時代の流れと無縁ではいられず、その作品は意識的あるいは無意識のうちに影響を受けていることが丁寧に描き出されている。

シューベルトの生没年は1797-1828。生涯のほとんどをウィーンで過ごす。ベートーヴェンの没年が1827年だから、シューベルトは古典派を代表する巨匠とほぼ同時代、同じ場所で生きたことになる。
ところが、ベトベン御大は古典派最後の巨匠、シューベルトは初期ロマン派と分類されている。ベートーヴェンとその師匠であったハイドンの間に深い溝があるように、シューベルトとベートーヴェンの間にも(シューベルトがベートーヴェンを尊敬しその楽曲を研究していたにもかかわらず)時代の変化によってもたらされた明確な溝があった。

今月のつぶやき

ネタは切れてからが勝負です

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